器械はウソをつく
人間ドックの仕事をするようになって約20年。毎日大量の検査結果の読影をしなければなりません。循環器内科が専門のわたしは安静時心電図や運動負荷心電図の判読をするのが主たる業務でしたが、当初は心電図の判読ソフトが判定しているものを極力見ないようにして自分の力で読んでいましたし、他のドクターにもそうするように指導しました。「どうしても分からなかったり判定に迷ったら参考にしても良いけど、極力自分の力を信じて読影してください」と。それは最初から器械の読みに頼ると自分の力がすぐ退化するに違いないと思ったからです。実際、胸部レントゲン写真の読影など、最初に答を見たら(専門医が先に読影してしまってそれを見てから自分が読影しようとしたら)もはや、その影しか見えなくなることを経験していました。読影というモノはそう云いうものです。だから二重読影とかは他人の読影結果を見ないでダブルブラインドでしないと意味が無いと云われているのです。
でも最近は最初に判読はするものの、毎回1件1件判読ソフトの結果も確認する様になりました。もはや今さら「実力を付ける」もないもんだというのもありますが、むしろ客観的な評価をする上では器械の判読をないがしろにするのは得策ではないと思うからです。院長などは「判読システムが読むのならもう人間の目は不要なのではないか?」とまで云います。もっとも、それは大きなまちがいで(AIがもっと発達したらどうなるかわかりませんが)器械はとんでもないミスを時々冒します。そこに何もないのに「重病だ」と読んだり、明らかに異常なのに「異常なし」と読んだりするものを何度も目にしてきました。それでもやはり準備された読影システムの結果は有効に使うべきだと思う今日この頃です。
胸部レントゲン検査も今はAI判読が搭載されています。自分たちが気づかなかった所見を見つけ出してくれます。今では必ずAIの判定を確認した上で自分の目で判定するというのがルーチンになりました。これもまた、AIが読んでいるものの中には「異常なし」と読んでいるところに大きな影が見つかったりします。
現代社会では、「器械が読むことの妥当性」とともに「器械に頼ったら誤診が起こり得る」というのも正解。その上で、それでもきちんと器械の判読結果は参考にして最終判定を人間が下すというのが一番大切なことだろうと思っています。
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