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『<理屈>で食う』

機関誌掲載の定期コラムが今月も発行されました。さて、これが発行されると次の〆切が近づいてくる。もうあまりネタがないけどなぁ。

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<理屈>で食う

「健康番組を見て“16時間断食”を試したのですが、いつまで頑張ってもひもじい感じが取れずにイライラします。やり方が悪いのでしょうか?」・・・以前、健康講話をした後に聴講者からそんな相談を受けました。「朝食を摂らなくなってわかったこと」「夕食を半分にしてわかったこと」という内容の講演をした時にも、健康のために食事はどうあるべきか?という質問を受けたことがあります。

<食欲>は人間にとって基本となる欲求です。私は、そんな基本欲求に<理屈>を付けることが好きではありません。「~すべき」「~は食べない方が良い/食べた方が良い」・・・そんな<理屈>で食べている限り、食べた物も食べるという行為も、どちらも自分のためにならない気がするのです。もっと自分の感覚に素直になっていただきたい。私は朝食べない方が体調が良いので20年来基本的に朝食は摂りませんが、朝食を摂るべきとかべきでないとか、あまりこだわらなくても良いのではないでしょうか。朝になって、腹が減ってなければ食べなければよい。ちょっと腹が減っていれば少し食べればよい。そんな軽い気持ちで<食欲>と付き合ってみてはいかがでしょう(料理を作る人には叱られますが)。なお、冒頭の方は「1週間も頑張ったのに」と言われましたが、頑張るのだったら2~3週間は続けてほしかった。1週間は何をするにも一番きつい時・・・もう少し頑張ると意外に楽しくなっていたかもしれません。

昔、『朝食と老化』という新聞記事がありました。「朝食を摂らないと老化が進む。秒単位で進む老化を抑えるには、食べ物に含まれる抗酸化物質を摂ることが大切。朝を抜くと半日分老化するのでちゃんと朝飯は摂るべき。脳のエネルギーとして朝はブドウ糖を補わなければならない」・・・そんな<理屈>に振り回されながら食べるのって疲れないのかしら?と思いながら読んだ記憶があります。また、先日読んだ貝原益軒の『養生訓』に、「肉を1切れ食べても10切れ食べても味は変わらない。果物を1粒食べても10粒食べても同じだ。たくさん食べて胃を壊すより、少し食べて風味を楽しみ、健康でいる方が良い」「食べたものが腹に残っているのに食事をとれば消化できずに負担になる。十分に消化して食べたい気持ちが自然に起きるまで食べないことだ。こうすれば食事はすべて滋養になる」という下りがありました。書いてあることは正論だけれど、これはこれで皆さんの心が拒絶しそう。<理屈>で食うのは相当に難儀なことだと思う私は、まだまだ心得が未熟なのかもしれません。

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