日記・コラム・つぶやき

マスク狂奏曲

今日は月曜の朝、各テレビ局のワイドショーがどこもかしこも日曜日のマスク状況の報道ばかり。先週末に、厚労省がマスク装着について、「屋外では、周囲との距離が十分とれなくても会話が少なければ必ずしもマスク着用の必要はない」との見解を発表したのを受けてのことのように見受けられます。「屋外では、周囲と2メートル以上の距離が確保できなくても会話をほとんど行わない場合はマスクの着用は必要ない(例:徒歩での通勤や屋外で他人とすれ違うような場合)」というものです。

「それなのに日曜の原宿やイベント会場ではまだ多くの人がマスクを付けている」・・・まあまず結論ありきの取材のように見受けられますが、わざわざ人混みの多い場所を選んでのこんな取材にどんな意味がありましょうか? マスク習慣のない欧米人と違って、マスクすることに抵抗のない日本人にとって政府のお偉いさんが発表したからと云ってすぐに外すとは到底思えません。それでなくても韓国や北朝鮮はまだまだ感染者増加の一途なのです。そして国は一気に外国との行き来を緩和させる方針を打ち出している矢先なのです。そもそも「ほとんど会話がない」とか「会話が少ない」とかいうアバウトな云い方がマジメな日本国民を苦しめるのです。たとえばわが家の夕方の散歩・・・夫婦以外の会話はほとんどないし暑いので妻は極力外して散歩していますが、途中でお散歩友だちの犬とすれ違えば自ずと会話します。ワンが離れない限りずっと同じ場所にいます。慌てて外していたマスクを付けなければならないくらいなら最初から着用して歩きますよ。リードやウンチ持ちながらのマスク着脱は思いの外大変なのですから。まあ、国が「マスクは外すべき」とか「極力外すようにしてください」とか強く云わない限り(そんな勇気はないかな)、日本国民のマスク離れにはもうちょっと時間がかかるのではないかと感じています。まさか、もしやこれ(テレビの一斉報道)は政府の指示だったりして・・・マスク外しの啓発啓蒙のために・・・それだとしたらめちゃ怖いですね。

さらに「屋内でも、人との距離が約2メートル以上確保でき、ほとんど会話しない場合はマスク着用は必要ない」(例:図書館など)というのも混乱するでしょうね。美術館・博物館など大きなイベントでもない限りこの条件には合致するでしょうけれど、施設側としてはやはり「マスク着用と手消毒は必須」という方針を貫きたいでしょうし、利用者側は「国がああ云っているのだからマスクは要らないだろ!」と入り口で一悶着ありそうな懸念・・・どれも杞憂に終わるといいのですが。

ちなみに、わたしは仕事柄、職場の方針に従わざるを得ません。まだまだ当分フルタイムマスク着用指示が続くと思います。

 

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虫の知らせなのに

「最近周りの人が大きな病気になったから、自分も心配になって申し込みました」という人間ドック受診者の方は少なくありません。いわゆる”虫の知らせ”。

検査結果として精査や治療を要する項目はなかったけど、改善すべき生活習慣の項目がいくつかあったから「この機会にぜひ何らかの改善行動を始めてみてください」と進言はするのだけれど、ほとんど聞いていないように見えます。目的だった病気の有無を見る検査に大きな問題がなく、そのほかにもすぐに病院を受診しなければならないような重篤な病気が見つからなかったことに安堵し、「良かったです」と云いながら診察室を出ていく受診者さん。きっと、「まだ大丈夫だな」と安心してしまって、明日から何かをするでもなく今夜は祝杯なのかもしれません。

せっかくの”虫の知らせ”・・・神様が受診行動に踏み切らせたのは、本当はこの機会に日頃検査したこともない項目をチェックして、今すぐ改善させないと将来病気が起きるぞ!という項目の指摘を受けてそれを回避するために生活習慣を今すぐ見直すべきだということに気付けよ、という示唆だったのだろうと思われ、今回の人間ドック結果を眺めながら残念ながら「この人は完全に改善のタイミングを逸してしまったなぁ」と感じてしまうわたしです。まあ、「転ばぬ先の杖」というのは傍から見ているとよく見えるけれど、当事者からは全然見えないもの・・・やはり人間は何か大病しないと生活習慣は変えられないものなのかもしれません。

 

 

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マスクの行く末

いよいよ”ウイズコロナ”の時代に入り、毎日発表される新規感染者数が高止まりであってもあまり一喜一憂しなくなった昨今、日本でもマスク継続の賛否が話題になるようになりました。「欧米に比べて日本は遅れている」と主張する人もいますが、もともとマスク習慣のない欧米人がさっさとマスクを外していることはさほどわたしたちの行動の参考にはなりますまい。

さて、「もうマスクしなくていいです」と云われて、すぐに外すだろうかと考えたら意外に大変そうです。先日街頭インタビューで大学生達が「入学したときからマスクだからマスク外したら『あなた誰?』てなるかも」とか「マスク外した顔見て幻滅されるのはイヤだから今でも友人と会食をしていない」という意見が出ていました。マスクによる感染予防効果云々とは全然違うメンタル的な要素は、特に若い人には大きいかもしれません。顔の大部分を覆っていたマスクを外すなんて、”下着姿で歩いているようなもの”という感覚の人は少なくない様です。

わたし的にはマスク外しても恥ずかしくはない(いやちょっと口元見られるの意外に恥ずかしいか)。ただ、インフルの時には「マスクなんて意味がない」と云われていたものがコロナだと「明らかに効果有り」に評価が変わってしまった以上、マスクなしで人混みの中に飛び出る勇気がいつになったら生まれてくるか、まだ自信がありません。冬はどっちにしてもマスクしていて違和感ないけれど、これからの季節に周りがマスク外しているのに自分だけ付けているのも勇気がいる。でも、さっさと外してしまう連中は信用できないので尚のことその中に入るのは勇気がいる・・・悩ましい話です。

ドアの手摺りに貼ってある抗菌シールやスーパーの店員さんが手袋してレジ打ちしているのは返って不衛生だとか、食堂などで使った度にあちこちをアルコール消毒するのは無駄かもしれないとかいう専門家の意見もテレビで見ました。その通りだと思いますが、はたしてそれをしなかったときにお客さんは今まで通りに来てくれるのか、不審がって敬遠するのではないかとか考えると店としても早々にやめる決心はつき難いところ。うちの職場の昼食時の黙食はもう慣れてしまったので違和感がありませんが、さてレストランや居酒屋の座席が昔のようにギシギシ状態に戻るまでにはどんなプロセスを経ることになるのでしょうか。丸2年以上続いた国民全体の習慣を欧米並みにある日突然リセットすることは日本の国民性ではたぶん不可能でしょう。第3波が収まった時にそのままだったらあるいは復旧は簡単だったかもしれないけれど、その後の予期せぬ波が押し寄せて以降、人は何も信用できなくなってしまっています。

来年の今頃はそんなことに悩んだことが笑い話になっているといいのですが。

 

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見たくないものは見ない

「テレビは観ません。ラジオもほとんど聴かないかな。いつもYouTubeで自分の好きなものを観たり音楽配信を聴いたりしているだけで特に何も困らないし」

先日、テレビの街頭インタビューで若いお嬢さんが答えていましたが、今の若い子たちの多くはそんな感じのようです。「ニュース番組とか観ておかなくて大丈夫ですか?」という問いには「必要なことはSNSとかLINEとかを見れば確認できるから不自由は感じません」と。まあ、リアルタイムの情報が入ってこない事への不安などほとんどないのが現代人なのでしょう。

それが現代人なのでしょうし、今の若者たちの常識なのでしょう。それが”時代”なのでしょうがないのでしょうが、心配なのは「見たくないものは見ない」が当たり前で「したくないことをどうしてしなければならないの?」という理屈がまかり通ることに疑問を感じない若者世代は、プライベートでは通用するけれど社会生活ではほとんど通用しないということを分っているのだろうかということ。会社に入社したあとでトラブルが起きたり上司先輩から注意されたら乗り越えられず(というより、乗り越えず)に「やりがいがない」と云い残してドロップアウトしてしまう人が少なくない理由なのではないかと感じます。

やりたいこと、見たいこと、興味あることをした方が充実した日々が送れるじゃないか、一度しかない人生なのだから・・・それの何が悪いの? という若者の声が聞こえてきそうです。そんなことに文句を云っているのではありませんけどね。ちなみに、こんな若者たちばかりなのだから、国や地方自治体がどんなにテレビや広報で情報を流したところで何も伝わらないということをもっときちんと理解して本腰を入れて打開策を講じないと日本は沈没していきますよ。ニュースや広報誌なんて興味ないのだから、親しい友だちが拡散でもしてくれない限り、絶対に伝わらない。アイドルにしゃべらせるとしてもテレビじゃダメなのよ、って分っているのだろうかしら。

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年老いた筋肉?(後)

(つづき)

毎日1万歩も歩いているしスクワットも欠かさないし職場でも階段ばかり使っているし、”若さ”には自信があった。「そんな年には全然見えませんね」と云われるのが密かな楽しみでした。とってもお気に入りの黒いジーンズがあってそれを穿くとシャキッとスマートな体型になってより一層若さが引き立つ魔法のアイテムだったの。ところが最近は、それを穿いている姿が本当に年寄りに見えるようになってしまって、ショックもショック、大ショックなのです。「こんなジイさん、公園にいっぱいおるなー」と。

いわゆる”よぼよぼジイさん”のシルエットではなくて、あちこち動き回ってなんやかやと作業しているジイさん。メタボの体型ではなくてむしろ細身のジイさんのそれ。たぶんこれ、筋肉が歳取ってしまっているんだと思う。年老いたニワトリの肉みたいな、まさしく”萎んだ”筋肉。服を着ていても、首や腕やにそれが見えてくるのでしょうね。これから半袖短パンになってきたらそれがより一層目立ってくるのだわ。

時々、公園を黙々と走っている人のふくらはぎの肉がスジだらけで「ちっとも美味そうではない」と思うことがあります。あれだな~。若い子達のふくらはぎは鍛えられていてもいなくてももっとみずみずしいものな~。あー若い肉体が、めっちゃほしい!

 

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年老いた筋肉?(前)

「若いですね」と、ワンの散歩なんぞしていると時々云われます。それはわたしの着ている服が若者仕様だからなのかもしれません。どこぞのキャラクターとのコラボTシャツだったり、かわいらしい模様のセーターだったりを着ているから。でも、これは単にわたしが着る物に頓着せず、さらに物持ちが良いからに過ぎません。あまり服を買わないので、10年~15年くらい前のユニクロのシャツなど普通に着ているせい。購入のセレクトは妻だし。

それはそれで、若い頃の服を着こなせているのだから体格も変化なくすばらしいことだと思うし、「若い」と云われるのはこの歳になると嬉しい。ただ、そんなウキウキ気分で散歩から帰ってきて玄関にある姿見を眺める、あるいは途中の団子屋さんの店のガラスに映る自分を見ると「ジイちゃんジャン!」と凹んでしまう。世間のジイちゃんがお孫さんかなんかからプレゼントされた様な真新しい若者シャツを着ているのを見かけることがあるけれど、あの時の印象に近い物が鏡の向こう側に映っていて、ちょっとイタい年寄りに見えたりする。

ほんの5年前くらいまでは同じ服を着て鏡に映ってもそんな感覚を持たなかったことを考えると、何かが変わっている。姿勢も正してお腹も引っ込めて”颯爽”と歩いているけれど、どこぞの”元気の良いジイちゃん”にしか見えないのよ。「年相応なのだからしょうがない」と思う反面、やはり悔しい。子どもができたり孫が生まれたりの区切りを経験していないわたしたち夫婦は気持ちが新婚の頃のままなものだから、自分の現実の姿が自分の目で見てきた世間の年寄りと同じに見えること自体がどこか納得いかないのであります。

格好もココロも若いのに、昔のオシャレなシャツを着ているのに、どうしてどこぞの棟梁や老舗焼き鳥屋のオヤジに見えてしまうのだろうか。くやしいくやしいくやしいくやしい。(つづく)

 

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きちんと覚えられているのか?

ここに周期的に何日も続けてMedical TribuneやCare Netなどの医療記事の紹介をアップすることがままあります。もちろん、ブログを毎日アップするにはネタ切れになりがちな昨今、文章を考える余裕もないときに手っ取り早く1回分を確保できるというメリットはあります。でも本当は、毎日のように配信されてくる医療情報の中で自分の興味のあるものだけをピックアップして読んでも限りなく多いわけで、流し読みしながらもせっかく読むのだから内容を理解してきちんと覚えて仕事などで使いたいという思いがあるわけです。単純に読み流すのよりは、内容を要約して自分の思いと一緒に文章にすると印象に残りやすいのではないかと思ってやっています。

でも、要点を引用コピペして、ちょろちょろとそのときに感じた感想を書き足したとして、意外に記憶には残りにくいものですね。よっぽど、内容を読んだ直後の結果説明で受診者さんに「さっき読んだ論文にこんなのがあったですよ」と要点を説明してあげて生活指導に役立てたときの方が強く印象には残ります。書くことよりも話すことの方が、より深いところまで記憶に刻み込まれるからでしょうか。

それでも知れています。「へえ」と思いながら引用アップしたら、実は数年前に同じことを同じように「へえ」と感心しながら書いてあったりすること、少なくありません。むかしは、その時点でアップを断念しましたが、最近はそれでもそのままアップします。忘れていたことなんだから、何度でも書かねば。どうせ、そう多くもないであろう読者の方も、きちんとは覚えてはいないのでしょうから。

 

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変わり際

今朝も芸能人の訃報がテレビ速報で入ってきたけれど、その後はスマホを繰ってもSNSのほとんどで出てこなくて、あれはガセネタなのか?と思ってグーグル検索したらニュース記事として出ていたので、それは事実であったことが確認できました。著名人が自ら命を絶ったというニュースは影響を受ける人が少なからずあるために最近は意図的に話題にしないように自粛する傾向。ここのところまたちょっと著名人の自殺が続いてしまっていますから。そして、報道の最後に必ず「今、悩みを抱えているという方はご覧の相談窓口「いのちの電話」があります」という言葉とともに連絡先が表示されるようにもなりました。

「自殺を考えたらまず相談を」「どうしてそんなことを」と傍では云いますが、多くの場合は衝動的なので、たまたま近くにいて押し止める人が居ない限りは防ぐのはむずかしいのかもしれません。最近、コロナ感染者が高止まりの中で徐々に社会活動が再開されるようになっています。明るい話題だからココロも前向きに動くように見えて、必ずしもそうではありません。こういう、『何かが動き始めたとき』は、なぜだかココロはものすごく不安定になるのです。2年前のわたしの強烈な”うつ状態”は、今すぐ命に直接かかわる新型コロナ感染の猛威の出現の中で「それどころではない」とばかりに消え失せていましたが、ここのところ社会が落ち着き始めるとともに、ときどきまたわたしのココロを弄(いじ)くり始めました。社会不安の峠は何とか越えそうではあるけれどまだ全く先が見えず、老いゆく自分がこれから生きていく上での不安材料はいまだにたくさん立ちはだかっていることに改めて気づく時期。今までは深い霧のために見えなくなっていただけ・・・突然押し寄せる姿なき不安の嵐は、正直なところ、わたしですら持って行かれそうになることがないわけではありません。何しろこれは何をしていても突然襲ってくる嵐なのです。

重くても軽くても良いから(できたら軽いに越したことはないけれど)、嵐が早く落ち着かないかなと思っているのはわたしだけではありますまい。

 

 

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手書き

先日、わたしの学生時代のクラブの同期が主催する劇団のメルマガの同期のKが書いたコラム「手書き」に、大いに反応してしまいました。

「あなたは手で書いてるの? あ、そう。僕はパソコン、ダメだから。僕は字は下手なんだけれども、手で書くのが楽しいんですよ。自分が書きたいと思ってるものを手が書いちゃうっていうか。何書いていいかわからないようなときでも、とにかく原稿用紙を広げて先に手を動かすと、なんとなくそのまま書き始められる。手が書くっていうのはあるんですよ」”という別役実さんの発言の箇所。

わたしも、そうです。ブログやコラムを書くのに今は直接キーを叩いてしまっていますが、手書きの方が明らかに思考がばく進するのです。書こうと思っていることを書いている最中、アタマははるか前を走っています、何だか知らないけれどどんどん次が生まれてきているのが分ります。これがパソコンやスマホだと、キータッチして現在の文字を打っているうちに、たった今アタマに浮かんできていた文章が急激に薄れていって消えてしまうのです。「あれ、今、めちゃ良いフレーズが浮かんでたやん」と思って思い出そうとするのだけれど、みるみる霧の中に消えていってしまうのです。「なんで?」と思う。まあ、最近は逃げていった名分など後追いせずに諦めることにしています。そのうちまた降臨してくるだろう、と(多くの場合、二度と降りてきませんから、やむを得ずちょっとしっくりしない文章になってしまっていますが)。

だから、外勤先や出張先(最近はほとんどその機会がありませんが)では、極力、iPadではなくて何かの印刷物の裏紙に手書きで文章を書くようにしています。いつも名分です。ただ、この場合、帰ってからこのメモを見ながら改めてパソコンに打ち込み直さなければならない面倒くささが付いて回ります。この場合、メモ通りに書き写せば良いのに、つい頭の中で推敲してしまって書き直す。これが吉と出る時と凶と出る時と・・・うーん。

 

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太る、って何なん?

「また太った。ヤバいヤツやん。なんでこんなに太るん?」

今日も今日とて、妻は体重計から降りながらグチを云っています。ダイエットブームの中で「太る」は悪、「やせる」はヒーローみたいな立ち位置になっている気がしますが、そもそも「太る」って何なん?本当に悪いことなん?

むかし、熊本県から転校してきた同級生がわたしを見て、「ふと(太)さ~!」と叫んだのを今でも覚えていますが、あのとき彼が表現したかったのは「デブ」ではなくて「熊の様に大きい」という意味だったそうです(後で本人から聞きました)。もっともその当時のわたしの体重は今より15キロほど重たかったのですが。確かに、『太』は『大』の真ん中に大きな点が加わっているのだから「もっと大きい」という意味。『太郎』とか『圭太』とか男性の名前にこの漢字を使うのは、そんな理由からでしょう。

ちょっと趣旨が逸れましたが、体重が重くなることを「太る」というのが現代の風潮のようで、ダイエットが健康のバロメーターなものだから体重が重くなるとダメ人間扱いされます。でも、『太る』は成長の証です。そもそもポジティブな言葉だったはずです。明らかに筋肉が付いて重くなっている人もいれば、わたしのようにお腹は出てきたのに筋肉が減ったから体重が増えていない輩もいます。この連休の間ずっと動かなかったから妙にお腹が出てきて、「ヤバいな、太ったかな」と思って恐る恐る体重計に載ったらほとんど変わっていなかった、ラッキー!」と安堵する・・・一概に体重で何のかんの云ってていいのかしら、と思います。簡単に評価できるからという理由だけで体重を予防医療の生活指導の指標にしていて本当に大丈夫なの?・・・そんなことを思う今日この頃であります。

「太りたくてたくさん食べるのにちっとも太れない」と嘆く人もおります。いっぱい炭水化物を食って脂肪をたくさん蓄えることになることを考えると、それはどうかと思います(こういう人は体質だから食べ過ぎても太りませんが)。お相撲取りさんがチャンコを食べて大きな身体になるのと、育ち盛りの子がジャンクフードばかり食べて肥満児になるのと、どっちも『太る』なのだろうけれど、全然意味が違います。

『太る』は、とても奥深くてむずかしい現象です。

 

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