日記・コラム・つぶやき

今することはムダではない

いよいよ落葉の季節。

例によって、わが家のハナミズキとヒメコブシの葉が毎日大量に落ちてきます。先週末からの嵐が一気にまとめて揺さぶり落としている感じです。

この季節のわが家の日常行事が落ち葉掻き。朝出勤前と夕の散歩前が私たち夫婦が手分けしてがんばる時間帯です。まあ、風吹く中で竹箒で掻き集める作業していると、だれかが「今やったってムダだだよ。どうせまた落ちてくるんだから。夜になってまとめてした方が効率的だよ」と云っている様な気がしないでもない。実際、隣に住む義母は妻にそう忠告したらしい。

でも・・・気まぐれな風に翻弄されながら作業を続けるわたしは、「この作業は決してムダではない。集めたモノが飛んでいってしまうのならともかく、自分で今捕獲した葉っぱはそのままバケツや袋の中に収まるわけで、木に生えた葉の全体量は決まっているのだから、愚直にやれば必ず最後が来る。今やっている分だけ確実に前に向かっている。あとでまとめてやろうが今小出しにやろうが、作業量は同じなのだから、こまめにやった方が大変さが希釈されるはずだ」と独りごとを云いながら黙々と落ち葉掻きに励むのであります。

落ち葉掻きは毎年大変だけれど、毎年、鮮やかな花びらをたわわに付けてわたしたちのココロを癒やしてくれるのだから、この程度の作業くらいは鼻歌交じりでできますわ。

 

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うわさ

キャンドル作家をしている妻が、先月末、近くのビルにアトリエを構えました。そのためにある日の朝、引っ越し屋さんに来てもらって友人と一緒に荷物を運び出しました。どうもそれを近くの住人が見ていたらしく、うちの妻が「家を出て行ったみたい」といううわさが広がった模様。しかも、その翌週には愛犬が体調を壊して散歩もドクターストップとなり、いつも夫婦で2匹のワンを散歩させるのが日課だったのに、毎夕わたしだけが幼犬だけを連れて散歩していたものだから、「あのうわさは本当だったのか?」という流れになってきていたそうな。

同じ公園を散歩している義母に、ある人がそっと聞いたそうな。「娘さん、どこかに引っ越したんですか?」

義母があわてて経緯を話してそれでやっと皆さんの疑問が解けたらしい、ということを妻経由で義母から聞きました。そうか、だから散歩中にすれ違うワン散歩の皆さんがいつになくよそよそしかったのか! 解決して良かったわ。でも、うわさというものはそんな甘いモノではありません。一旦流れたうわさは、完全に精算されてきれいさっぱり無くなることはあり得ないのであります。きっと、たとえ前と同じように夫婦で2匹を散歩する姿を見たとしても、前と同じようにワン経由で楽しくお話をしていても、「結局、なんやかやあって、仲直りしたみたいだね」みたいな根も葉もないうわさストーリーがつけ加えられて終わるのでしょう。

なんかちょっと悔しい。

 

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老犬の後ろ姿

わが家の愛犬が今日、13歳の誕生日を無事に迎えました。先月末に突然激しい眼振に襲われて散歩の途中に急に天を仰いで動けなくなったときにはワンも私たち夫婦もパニックになりましたが、老年にありがちな前庭疾患(人間で云うところの”メニエル症候群”みたいなもの)であることがわかり治療を受けて幸いすぐに回復することができました。この病自体はわが家の歴代のワン達にも襲った病でしたが、それとは別に歴代の愛犬たちが皆、誕生日の1ヶ月前や2ヶ月前に逝ってしまっていたので、このまま動けなくなるのではないかととても心配しました。

発病直後はわたしが体重20キロ超の身体を抱え上げて階段昇降しました。その後、庭に出ておしっこをするために自分の定位置まで歩く後ろ姿が、自分で制御できないような千鳥足で・・・つい数ヶ月前には庭中を走り回っていたのに、と思うと見ていて涙が出てきました。14年間綴ったわたしのブログを読み返すと、今の愛犬の記事が一番多いのですが、それだけ彼女の一生はとても波瀾万丈でした。初代のワンが肝臓腫瘍の破裂で亡くなって直後に生まれたこの子は初代の生まれ変わりだと捉えていました。そんな彼女がわが家に来る日は突然の激しい嵐で地獄のような飛行機貨物室での惨劇を物語るかのように、わが家に来てもしばらくケージから出てこようとしませんでした。ずっと暗闇がキライで暗い車庫がキライで、だから車に乗るのも頑なに拒んでいました。ところが2016年に2度の熊本地震。家の中がぐしゃぐしゃになり、外にいても地面に這いつくばらなければ立っていられなかった余震の中で、彼女は大きな音がするだけで散歩中でも一目散に逃げてまわりました。あの時、県北の知人宅に避難させてもらった日から、一番安全なところが車の中だと悟り、ことあるごとに車に逃げていこうとしました。

彼女は子どもの頃からとても優しい性格で、決して周りのワンや子ども達に吠えたりしませんでした。小さな人間の子が来るとむしろ自分から逃げていくような性格でした。おそらく先代のお嬢様犬が教育してくれたおかげだと思います。そんな性格だから、半年前にわが家に来たパピーの格好のおもちゃにされ、足腰弱っているのに背中から飛び乗られたり遠くから体当たりを食らわせられたりされても軽く吠えるだけでした。「かわいそうに」と思って見ていましたが、2匹の様子をみていると年老いたバアちゃんに孫娘が容赦なく飛びついて甘えるのに似て、老犬が優しく見守ってやっているのかもしれない(チビの方が頼って生きているような)と思うようにもなりました。

遠く、町田の犬舎から来たのは初代犬とこの子(今回のパピーもそうですが)。彼らが老いていくにつれて「この子は、わが家の子になった本当に幸せだったと思えるのだろうか?」と考えるのです。特に彼女は、熊本の地に来るときも来てからも、普通なら絶対に味わわなくても良かったような悲惨な経験ばかりしてしまって、最後は平穏で静かな余生かと思いきやお転婆娘がかき回して夜もおちおち寝られない日々・・・「ごめんね」「でも、しっかり元気になってもう一度走り回れる体力に戻ってな」などと、千鳥足の老犬の後ろ姿を眺めながら独りごとをつぶやいたのでありました。

 

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階段

相変わらず、職場のエレベーターに載ることのないわたしは、4階の診察室まではいつも階段を使います。別に「健康のため」というわけではなく、単に「エレベーターに載る習慣がないから」というだけのことなのですが、エレベーター前で箱が来るのを待っている若いスタッフ達が何となく奇異な目でわたしを見るので、「わたしは閉所恐怖症だからエレベーターには極力載りたくないのだ」といいわけをして階段に向かいます。

エレベーターと階段のことは、東日本大震災の後は時々このブログでも触れてきましたが、生まれたときからエレベーターがあって「そこにエレベーターがあるのに載らない意味がわからない」という若い世代や、昔は何階でも歩くしかなかったけれど今は文明の利器でこんな楽な道具があるのだから「使わなければ損だ」と思う高齢世代と、まあエレベーターを使うための大義名分は千差万別ですけれど、別にあるモノを使いたい人は使えば良いことで、私のように使わない人間にいろいろ批判するのは止めてほしいものです(まあ、単なるわたしの被害妄想かもしれませんが)。たしかに、ちょっと今さらエレベーターに載るのは何かに負けた気がするから意地になている部分は否めませんけれど・・・。

でも、正直最近4階までの階段がきつい。たぶんマスクをしているためだと思うのだけれど、高血圧症の治療中で最近若干コントロール不良気味なわたしとしてはちょっと不安になることがあります。だから極力2階+2階に分けて上っている(2階フロアで建物の反対側にある階段まで水平移動する)のですが、部屋に着く頃に今までにない息切れ感を感じて、あまり意地を張っていると危険なのかもしれないと思うことが増えてきました。だから、産業医に行っている企業の健康相談室に向かうときには、ここ数ヶ月は躊躇なくエレベーターを利用するようにしています。健康相談室はビルの7階にあるのです。

 

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自分が受診してわかったこと

緊急で有休をいただいて、専門の泌尿器科病院を受診しました。

地域で有名な個人病院ですが、9時の診療開始15分くらい前に行ったら受付番号26番でした。初診なので半日はかかることを覚悟していました。こうやって時々患者として受診すると、いろんな事が分ります。たぶん、コロナ禍になってまともに病院受診するのは初めてです。

今回の受診でわかったこと。

●スタッフの皆さんのマスク越しの声はとても聞き取りづらい。さらにビニールカーテン越しだとなおのこと。今日は何度も聞き直ししました。

●診療が開始されて2時間くらいすると明らかに空気が殺伐としてきて皆が殺気だってくる。明らかに爺も婆もイライラしているのがわかる。

「次に行かなきゃいかんところがあるのに、2時間待つのにまだ呼ばれない」と高齢男性。「いや、まだあなたが来てから1時間半弱だと思うぞ」と独りでこっそりツッコむ。「今日は特に進行が遅い」と隣に座っていた高齢女性がわたしに話しかけてきました。「9時前に来たのにもう2時間も待っているんですよ」「みんな頑張っているからね、申し訳ないんだけど、家で寝たきりの90歳を超える主人が待っているから早く帰らないと心配なの」と。イライラはしてない様子だけど不安そう。5年も毎月通院しているという彼女が不安がるのだから、やっぱり今日はいつになく受診者が多いのでしょう。わたしみたいな初診者が多いのでしょうか。それなら申し訳ないな、と思いながら話し相手をしていたら、「26番の方、診察室にどうぞ」と声がかかりました。「あ、呼ばれました。お先に失礼します。たぶん、もうすぐ呼ばれますよ」と声をかけてわたしは立ち上がりました。彼女の番号はわたしのより3つ後でしたから。

正直なところ、医療機関の質は、医者の態度や実績よりも受付スタッフや患者さんを呼びに来るパラメディカルスタッフの声かけや動きをみている方がよくわかると思います。そして、ここの病院が患者さんに人気なのがよくわかりました。

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山本五十六語録

先日、Web学会で受講した日本ポジティブサイコロジー学会の中で、山本五十六大将の語録が『現代に通じる教育の理念』として紹介されました。とてもいい言葉なので、そのまま書き写しました。

   やってみせ
   言って聞かせて
   させてみて
   ほめてやらねば
   人は動かじ

   話し合い
   耳を傾け
   承認し
   任せてやらねば
   人は育たず

   やっている
   姿を感謝で見守って
   信頼せねば
   人は実らず

 

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こどもたちのあいさつ

むかし、私たち夫婦が今の場所に住み始めたころ、道を歩いているとすれ違う中学生も小学生も、皆が皆必ず「こんにちは」「おはようございます」と大きな声であいさつをしてくれました。東京に住んでいたころには経験したことのないことだったので、驚いて、すぐには返事することができなかったのを覚えています。『道ですれ違ったら必ずあいさつをしなさい」という学校での教育がしっかりされていたからでしょう。

ところが、最近はあいさつをしません。ウソのようにまったく。昔は、公園で散歩していると部活の生徒たちが全員各々にあいさつするものだから返事に困ったものですが、今はだれ一人あいさつしません。きっと、不審者が多いこの世の中だから、「知らない人から声をかけられても絶対に返事をするな!」から「道では知らない人には間違ってもあいさつなどしないように」という教育方針に変わったのだろうとすぐに推測できました。まあ、奇異な目で目を逸らされるわけではなく、最初からの無視なのでさほど気にはならないのですが・・・なんか、急な教育方針の転換に戸惑ってしまいます。わたしたちより、子どもたちの方が大変だったのではないのだろうか。入学した最初から「あいさつするな」の教育を受けた世代はいいけれど、「必ずあいさつしなさい」から「あいさつはしてはいけません」に方針転換された世代の子たちは、ちゃんと受け入れることができたのだろうか。理屈はわかるかもしれないけれど、でも何らかの不信感を抱くことは免れなかったのではないかしら。そんな子が、その後の社会の中で生きるときに素直な感性のままで生きていってくれるだろうか・・・そこのところが妙に心配なわたしです。

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DAZNの功罪

先日、テレビのバラエティー番組で、「最近、スポーツ番組観ますか?」という問いに「オリンピックは観たけど、それ以外はほとんど観ない」と答えた老若男女のタレントさんたち。たしか、サッカー日本代表のアジア二次予選の翌日かなんかだったと思います。「なぜ?」という問いに、「だってほとんど地上波で放送してくれなくなったから」と。

考えてみるとたしかにそうです。たまに日本で開催されるときには地上波放送あることありますが、最近は放映権を有料配信サイトが独占していて、それと契約していないと観れないことが多い。昔はCSやWowowくらいでしたが、今の状況になった原因の代表がDAZN(ダゾーン)でしょうか。たしかにDAZNは多くのスポーツ番組をつぶさに放映してくれます。わたしが応援しているサッカーJリーグは普通なら放送しないJ3の全試合まできちんとLIVE放送してくれます。プロ野球もバスケットボールもバレーボールも外国のプロスポーツもモータースポーツまで幅広く、しかもご丁寧に見逃し配信まで。いたれりつくせりです。その代わり、年間購読契約をしないと観れません。そして、DAZNが独占契約をする分、地上波やBS放送の放映権はなかなか得られず(たぶん放映権もかなり高価で)、別にスポーツにそれほど深い思い入れがない一般庶民はわざわざ観なくてもいいかな、ということになって当然な気がします。

スポーツを幅広く普及させるためには、観たかったわけじゃないけど何となくテレビを付けたらスポーツやってた・・・「他にすることないから観ようかな」から引き入れてくることはとても大切だと思うのです。先日の東京オリンピックの地上波放送で今まで一度も観たことのないスポーツをLIVEで観る機会を得て、それでスポーツの面白さなり魅力なりが初めて分ったことを多くの人が経験したことでしょう。それが大切なのだと思うのですが、今のプロスポーツはそのチャンスが奪われています。

また、顔も知らない多くの老若男女がテレビという媒体を通して一体になって同じものを応援している空気感、その『一体感』が感じられなくなったのが寂しい、と番組でも嘆いていました。たしかにDAZNは、WiFi環境が途切れてちょっと放送が切れたら、その途切れた時点から再開してくれます。そのためにLIVE配信を謳いリアルタイムの放送見ているようで、世間と若干ずれて観戦してしまうことがよくあります。「しまった、見逃した」というのはない代わりに、ずっと若干遅れのまま見続けるのでSNSでの世間の人たちの反応とずっと遅れてしまうのは、独り蚊帳の外みたいな寂しさがあります。

世の中のエンターテイメントの多くがその在り方を変えようとしている昨今、メリットもデメリットも感じつつ、自分の興味があるものの情報だけを選択的に取り入れればそれでいい、というご時世になんか一抹の寂しさを感じるのは、わたしが昭和の人間だからでしょうか。

 

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原因不明の腰痛

夜中に小便に起きたときから「これはヤバいやつやな」と感じ、朝起きたときには確実な痛みになっている腰痛。このパターンが昔から時々ありますが、最近ちょっと頻度が増した気がします。座っていると張ってきて、歩いているとちょとだけ改善して、痛み止めも湿布もほとんど効果のないやつ。腰椎ヘルニアを持病にもっているからそのせいかなと思いつつたぶん違う。時々後で考えたら尿路結石の刺激だったこともあるけれど、大部分はそれでもない。

原因不明だから今後どうなるのか不安にもなりそうだけど、これが数日後にウソのように消えることも経験済み。そもそも、痛みにはなにがしかの原因があり、その原因を突き止めてそれに対する治療をするというのが西洋医学の考え方なのだけれど、原因がわからない”腰痛症”で悩む老若男女は数多居るそうな。かく云うわたしも初めて痛み始めた頃は不安で動くことも自重し、ヘルニア増悪時に作ってもらったコルセットを巻いて暗澹たる気分になったものですが、わたしの職場の先輩や同僚に腰痛に悩まされている人はたくさん居て、まだわたしに”腰痛”などという用語の存在意義がわからなかった時期に、腰をさすりながら歩いていた人たちの姿を見てきました。彼らが口を揃えて云うのは「いろいろ調べたけど原因がわからない」ということ。「原因がわからない」というコトバは医学の敗北、”不治の病”の烙印を押されたようなモノで、「かわいそうに」と思ったものでした。でも、自分がその世界に入り込んでみると、頼みの綱は治療法ではなく、あれだけ暗い顔をしていた先輩達が今は元気に走り回っているという現実です。何の治療をしたでもなく、効果的なリハビリ法があったわけでもないのに、「いつの間にか治った」という。「原因がわからない」というのはそういうことですね。「原因がない」のだから、理由なく治ることもあって当然。

今回もそう信じて、いつものように過ごしています。少なくとも前回(2週間くらい前)は3、4日で消えました。期待しましょう。

 

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突然の劣化

来月に満13歳を迎える我が家の老犬が、先日いつものように朝起きて二階の寝室から階下の庭に降りようとして、パタと足を止めました。階段の第一歩めを踏み出せないのです。たぶん、真っ白になった白内障の眼で階段の境目がどれだかわからないから怖かったのだと思います(わたしも某ゴルフ場の階段を降りるのがとても怖い。本当に上から見るとどこに境目があるかわからない木目なのです。これ、若い人にはどうということないのだろうかなと行くたびに思います)。でも、前日まで、ちゃんと普通に駆け下りていた階段じゃないか? 「どうしたの?怖い?」と声をかけてもたじろいで後ろに戻ろうとするので、やむを得ず足を取ってあげながら降りました。ゆっくり確認しながら降りたけれど、最後の最後に足を踏み外してうつぶせに倒れてしまい、その後しばらく足を引き摺りました。とりあえず用を済ませて、今度は朝ご飯を食べるために中二階にあがらねばならないのだけれど、階段を一段上ろうとしてまたパタと立ち止まる。後ろ足が上がらない。上がろうとしたけれど滑って上がれない。自信を失った様子で階下に座りこむ老犬。

愕然としました。そんなに突然衰えるものなのか。幸い今回は眼を覆う被毛を結びあげ、足の裏の毛を刈り取って滑らなくしたら階段を再び昇降できるように回復しましたが、我が家の歴代のワンたちのことを思い出しても、本当に突然、昨日できたことができなくなり、自信を失ってなにもしなくなり、ずっと寝ていて失禁をするようになり、失禁してしまった自分に凹み、さらに厭世的になり・・・そんな感じでした。その日は突然やってくるのだろうか。覚悟だけはしておかねばならないか。

これまでは、ワンたちの老化のことばかり考えていましたが、気づいてみればほぼ同じ土俵に自分が居る。そういえば、「歳のわりに全然若いね」と云われて喜んでいたのはつい5年前くらいだったのに、わたしの肌の衰えたるや本当に突然だった気がします。風貌がジイさんになってしまったと自分で認めるのはとても悔しいけれど、もう傍から客観的に観察されると、どんな若作りの服を着てもちょっとごまかせなくなってしまいました。徐々に?いや、なんか突然、「朝起きたらジイさんになっていた」という感じだった気がします。

くそう。負けてたまるか。「負けたくないよね、がんばろうね」と愛犬に向かって話しかけるのだけれど、耳も遠くなってきた彼女は力なくしっぽを振っています。そうそう、そういえば通勤中に聞く車のラジオの声、なんか急に聞き取りづらくなったなあ。

 

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