日記・コラム・つぶやき

はだかの王様

「どんな苦情が出てるんですか?少なくともわたしたちは外来で不満を抱かせるようなことはしていないし、わたしは今まで苦情など一度も受けたことがない自信があります。」

健診から精密検査のために外来を紹介した場合に何かと苦情が出ます。健診では「お客さま」ですが外来では普通の患者さんですから、そのギャップに文句が出る場合もあれば、外来の医師や看護スタッフの態度が悪いといって怒り出すこともあります。そのため、定期的に各科の先生と情報交換会議を行います。外来の先生方とそんな話をしていたとき、M先生が気色ばんでそう発言しました。

その半年ほど前、うちの妻が「あなたの病院にM先生という人がいる?」と聞いたことがあります。「最近来た○○科の先生でしょ。なんで?」と聞き返すと、「友人がこないだ受診したんだけど、その先生の言い方がいい加減な感じでとても不安になったんだって。だからどんな人かなと思って。」と教えてくれました。その当事者の先生とこのとき初めて話しながら、「この人か」と思いました。

M先生がどうこうではなく(彼の名誉のために云えば、とても人気のある先生だそうです)、私たちは患者さんの本当の気持ちをほとんど知りません。アンケートやクレームを書いてくれる一部の方はありがたいですが、普通は伝えてはくれません。受付で大声で怒鳴っていたのに診察室に入った途端何もなかったようにニコニコしている患者さんもたくさんいます。結局、外来の苦情は身内を通して間接的に聞くことがとても多く、現場はほとんど知らないでしょう。健診に対するクレームも職員家族健診をしたときが一番多くなります。本音を間接的に伝えてもらえるからです。

苦情が正式に聞こえてこないからといって、奢っていてはしょうがありません。「はだかの王様」にならないように、常に謙虚でいたいと思います。

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宇船(そらふね)

先日、たまたま通勤途中に車のラジオから<TOKIO「宇船(そらふね)」>が流れてきました。なんだと云うのではないけれど、メロディが妙に心の奥深くに入り込んでくることがあります。先日はそれが<TOKIO「宇船(そらふね)」>でした。

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その船を漕いでゆけ お前の手で漕いでゆけ お前が消えて喜ぶ者に お前のオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか その船は今どこで ボロボロで進んでいるのか 流されまいと逆らいながら 船は挑み 船は傷み すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても 

その船を漕いでゆけ お前の手で漕いでゆけ お前が消えて喜ぶ者に お前のオールをまかせるな♪

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こんな厳しい歌詞は、今のわたしには似合わない気がするのですが、でもなぜか奮い立つのです。中島みゆきではなく、TOKIOの長瀬がいいのです。なんでなんでしょう?

ちなみに、先月末の大分行きの車中では、ずっと<北島三郎「祭り」>でした。サブちゃんは、いい!

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おまえには診てもらいたくない

苦い思い出があります。

「あんな医者のところに戻らせたくない!」出向先の病院で、救急で担ぎ込まれた急性心筋梗塞の患者さんに初期処置をして救急車で熊本に送ったことがあります。順調なリハビリを終えて地元に戻ることになったとき、奥さんがこう云ったのです。どうも、最初に受診したとき、わたしが初対面の自分を頭ごなしに怒ったのだそうで、はらわたが煮えくり返るほどだったけど救急事態だったからじっと我慢したのだそうです。

転院してきたとき、息子さんだけ付いてきました。奥さんも心筋梗塞で大学病院に入院したことがあるが5日間しか入院しなかった。夫は2週間も入院した。あの病院は金儲けしか考えてない病院だから早く出ようと思ってやむを得ずおまえ(わたし)のところに転院するのを承諾したのだ!息子さんは奥さんの言葉を代弁してそう云いました。「きっとわたしが何を話しても信用しないと思うのですが」と前置きしたら、息子さんは「もちろん、何も信用する気はありません」と不機嫌そうに答えました。

「心筋梗塞」という病名でも、陳旧性心筋梗塞と急性心筋梗塞は全く別の病態です。後者は今まさに心臓が腐っている状態です(http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/04/post_c816.html)。陳旧性心筋梗塞で5日間の入院は長すぎです。急性心筋梗塞を2週間で退院できるのはかなり早い経過です。その差を説明しましたが、「きっとあなたは信用していないでしょうから、そのまま大学病院の先生に聞いてみてください。」と伝えました。きっと息子さんは奥さんにそんな内容は伝えなかっただろうなと思います。

わたしをどう思ってもいいのですが、わたしが関わったために、あの家族は間違った知識のままに生きていくことになってしまいました。それが何か申し訳なくてたまりません。なお、当の本人は発病前のいい加減な生活を反省して、その後もいつもニコニコして通院してきてくれました。

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「健やかな病人になる」

職場の広報誌の寄稿コラム(一部訂正加筆)です。ちょっと古く、2005年7月号です。

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「健やかな病人になる」~生活習慣病入門の心得

「あなたは病人ですか?」・・・残念ながら、多くの現代人は病人です。「私は違うわ」と思っているあなたもきっと病人です。少なくとも私は病人です。今の世は病人だらけです。病気のこと、特に生活習慣病のことは皆さん詳しく知っています。なのに「コレステロールが高い」といいながら、それが病気だとは思っていません。「それを『脂質異常症』といいまして、今夜、何の前ぶれもなく突然に心筋梗塞になって倒れてもおかしくないという意味ですから、家族にはきちんと伝えておいてください。」私は皮肉を込めてそう云います。血糖が高いけど糖尿病とはいわれていないとか、血圧は高いけど薬はいらないから高血圧ではないとか、どうしても病気と認めたがりません。「血糖が高いことを『糖尿病』というんです。血圧が高いことを『高血圧症』というんです。それが予備軍だろうと正規軍だろうと、どうせ同じ事をするんだから無駄な抵抗はやめましょうよ。」・・・私は、健診結果を説明しながら、いつもそう思います。実体のない「健康」の文字に必死でしがみつきたがるのはどうしてなのでしょう。医学は常に「病気」を相手にしてきました。「健康」は当然あるべきものでしたから「健康とは何か?」などの論議は無用でした。「病気」は常に悪であり退治すべき対象でした。だから「病人」は落第生の証なのかもしれません。一度認めたら最後、まるで修行僧のように食べたい物は食べられなくなり、新興宗教のように黙々とただ歩かされ、挙げ句の果てに毒薬を一生飲まされる。とんでもない!死んでも首をタテには振るまい、といったところでしょうか。

ところが今の世は病気だらけなのですから、「健康」には定義がいります。”心身ともに爽快で毎日を明るく楽しく送れること”と定義してみましょう。そうすると、似非健康人の皆さんが「やばいかな」とか考えながらケーキを食べる行為はバツ。高血圧の私が運動後に気分良く握り飯を頬張るのはマル。脳梗塞で麻痺になった患者さんが頑張って歩けるようになったら三重マル。これはなかなかいけてます。病人なのに健康でいられます。生活習慣病は遺伝病です。同じものを食べて同じことをしても自分だけ病気になる体質ですからもっとゆっくりつき合いましょう。2,3年前から私は高血圧ですし、油断するとすぐ太ります。隠すことなく私は病人です。でもそのおかげで私は動くことと食べることの面白さを知りました。

「あなたは病人ですか?」の問いには、迷うことなく「私は病人です。これからも『健やかな病人』であり続けたいと思います。」と答えます。「正常」にしがみついて汲々とするより、病人の人生をうまくコントロールして楽しんだ方がずっと面白い。これからの人生に面白いことがもっと沢山あるはずだと信じています。

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父の人生

父はいわゆる「でもしか」時代からの教師で、小学校の校長を定年退職したあとは、高い年給で悠々自適な生活をしていました。

わたしはずっと父に反発して生きてきました。いつも打算的な生き方をしていることと、笑わせようということが見え見えの話し方と、生徒をパターン化して分類指導する態度が特に嫌いでした。高校の時に進路を相談する予定だった日、酒に酔って帰ってきた父に「ふざけるな!」と反目したときからずっと冷ややかな眼で眺めていました。父の反対を押し切って結婚式をあげ、やっと家に挨拶に上がれるようになったころには熊本に勝手に家を建て、ずっと父の思惑を裏切って生きてきました。

「あんな男になりたくない」という反面教師的な意識で父を観てきていましたが、当然のことのようにわたしはどんどん父に似てきました。最初はそんな自分が嫌でしたが、徐々にその心は変わってきました。単に素直な表現が下手なだけ、本当は情熱的なのにクールに見せかけようとして不器用なだけ、本当は寂しいのに弱点をみせたくなかっただけ。自分の姿を鏡にしてみると、父の心の中が鮮明に見えてきました。父の昔からの友人には父を悪く云う人はいません。人生に悩んだとき必ず父に相談に来ます。遺品を整理していたら、姉のものよりはるかに多いわたしの写真アルバムがでてきました。全てにコメントが入っています。子どもの頃には日曜日に父の学校で跳び箱や水泳の練習をしたことを思い出します。自慢の息子だったに違いありません。母が亡くなった数年後、「寂しいがのう。黄昏時になるとどうしても涙がこぼれてくるのう」と彼がわたしに呟いた本音、わざと聞き流した息子は親不孝者です。早々に大好きだった妻を亡くし、息子にずっと反目されながら、それでも見栄を張って生きてきた彼の人生は、幸せだったのだろうか?ちょっと問うてみたい気分です。

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父の死

父の命日は、医師の書いた死亡診断書によると「平成14年6月16日頃」です。

6月23日の早朝、実家の近くに住む伯母から突然電話がかかりました。「お父さんはどこか遠くに旅行にでも行ってるの?」。一人暮らしだった父は毎日牛乳を配達してもらっていました。その牛乳が何日も溜まっていたことから牛乳屋さんが不審に思って警察に通報し、緊急連絡先だった伯母のところに連絡がきたわけです。わたしは、裏の倉庫にかけてあるカギで開けてくれるように頼みました。居間で死んでいた父が発見されたのは間もなくのことでした。父の妹である叔母の判断で司法解剖は行わず、私が現場に着いたときには死体はきれいに安置されていました。外傷がなく、髄液が血性ではなかったため、脳のトラブルや事件ではないと判断されました。父の食卓に残っていたジャスコの惣菜の日付が6月16日だったこと、居間の電灯が付けっぱなしだったことなどから、16日の夜を死亡推定日と判断されたようです。が、告別式で受付をしてくれた近所のおじさんがわざわざ私を呼び止めて「先生は17日にいつものように散歩していましたよ」と云ってくれました。ちょっとボケが出ていた裏のおばあちゃんも「翌朝見かけた!」と主張していました。きっと16日死亡説は間違っているのでしょう。でも、寺が書いてくれた位牌には「頃」が消されており、いつの間にか、「平成14年6月16日」が命日になってしまいました。

特別に発見時の写真と調書を見せてもらえました。死体の周りに散らかった新聞紙が、一人苦悶していたであろう父の姿を物語っていましたが、それでもおそらく長くても1,2時間の苦しみだったのではないかと思います。一人寂しく息絶えたのは無念だったかもしれませんが、闘病生活が長かった人たちに比べれば、いわば「ピンピンコロリ」に近い死に方でした。ある意味幸せだったのではないかとわたしは思っています。

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演劇を始めた理由

昨夜、佐伯で芝居を観てきました。高校教師をしている大学時代の演劇部の先輩が中心になって、1年前に旗揚げした演劇集団の2回目の公演でした。

大学入学の2ヶ月後に、オンボロプレハブの演劇部室にいるとは、わたし自身も思ってもいませんでした。高校時代までのわたしを知る全ての人間が、それを聞いて仰け反って驚きました。演劇部に入った理由は大したことではありません。出身高校の新入生歓迎コンパでしつこくラグビー部に勧誘する先輩を断るために「すみません。わたしは演劇部に入ることに決めたものですから」と口から出任せを云いました。その場に同じ下宿に住むF氏がおり、それを同じ下宿に住む演劇部のI氏に話し、二日酔いのわたしに「演劇部に入るんだって?早速部室に行こう!」と連行されたわけです。そのI氏こそ、昨夜佐伯の舞台に立っていた先輩です。

高校演劇から入部してきた人(わざわざ演劇をするためにうちの大学を受験した人もいます)や唐十郎の赤テントに感動してその足で入部した人にはホントに申し訳ないことです。でも、人生のつながりなんて、こんないい加減なご縁から始まるものかもしれません。それでも、あのとき演劇部を選んだのはわたしにはとても意味があったように思います。舞台に立ってスポットライトを浴びる快感は一度知ったら忘れられませんが、現在、あちこちで講演するときに生かされています。役者として他人になりきる習慣は、自分ならどうするか、という違う眼でものをみるのに役立ちますし、相手の心と空気を読む習慣は、話をしていて相手の考え方を推察するのに役立ちます。

こうやって仲間の芝居を観ると、いまだに「舞台に立ちたい!」心が頭を擡げてきて、初恋の時のような切なさとドキドキ感を感じてしまいます。

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どなたかドクターはいませんか

秋葉原の無差別殺傷事件の惨劇の現場にたまたま出くわした2名の医師の救護活動の記事がパソコンのニュースで流れていました。一人は日本臨床救急医学会総会に来ていた医者だそうだから、まさしくプロ中のプロが居てくれたことになります。声をかけたら私服姿の消防関係の人と看護師が手を挙げ、一緒に心臓マッサージを続けたそうです。残念ながら心肺停止状態から脱することができず亡くなってしまいましたが、自分も危険に晒されながらの彼らの行動には心から脱帽します。

医者や医療従事者は、基本的にオンとオフがありません。有事の際には自ら名乗り出て適切な処置に当たらなければなりません(法律上はどうなのか知りませんが)。でも、胸に名札をしているわけではありませんから、私服で休日の街に遊びに来ていてそんな事件に遭遇しても、手を挙げなければ素通りできます。日本臨床救急医学会総会が東京ビッグサイトで行われていたのですから、この惨劇の現場付近にも医者や医療従事者はきっと他にたくさんいただろうと推測できます。月曜の職場で興奮しながら同僚に話していたかもしれません。でも、そこで手を挙げなかったとしても決して不思議ではないように思います。自分がそこにいたらどうしただろう?そんなことを考えながらこの記事を読みました。

わたしはこれまでに2回、名乗り出た経験があります。心臓マッサージをしたこともありますがいずれも大したこともなく回復してくれました。でも、街角の小さな転倒事故や浮浪者風の人が倒れたときなど、遠巻きに様子をうかがって近寄らなかったこともあります。良心の呵責と戦いながら、大事はなさそうだとか、通行人が声をかけたから大丈夫だろうとか言い訳して、足早に立ち去りました。記事を読みながら懺悔しています。

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どんな人生を生きるにしても

「どんな人生を生きるにしても、あなたの身体で生きるのです」

先日、ある受診者の方から教えてもらったことばです。「誰かの本に書いてあったものを書き抜いて部屋に貼っているんだけれど、なかなか実践できません。」と云っていました。人生の生き方は人それぞれに千差万別で、人に迷惑をかけない限り、自分のやりたいことを求めたり好きな人生を歩むのはその人の自由です。ただ、それを実現できるのは自分の身体あってのもの、どんな大いなる夢を思い描いても、それをこなせるだけの身体がないと前には進めません。どんな蘊蓄を語っても、他人が肩代わりできるものではありません。だから、精進しなさい。・・・教えてもらいながら、良いことばだなあと思って記してみました。

ただ、現実には本当に難しいことです。わたしも健診結果の説明のときに、「まあ、どうせわたしの身体ではないのですから、わたしにとってはどうでもいいことですけどね・・・」と意地悪な捨てぜりふをよく口にします。「分かってはいるんですけど」と云いながら、想像以上でも以下でもない言い訳が返ってきます。煩悩は星の数ほど転がっています。しなくてはならないことができなかったとき、人はたくさんの言い訳をします。わたしも人に云いながら自分のことにはだらしなく、「だって・・・なんだもの」の言い訳は茶飯事です。そう簡単に悟りを開けるものではありませんし、本当に悟りを開けたときにはこの世から次の世に昇華してしまうものだと思っています。それでも自分の人生を生きるために頑張るものなのですね。言い訳なんてどれだけ並べたところでだれも困らないし、何も解決しないことを肝に銘じながら。

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標準化(続編)

先日、父の七回忌を無事済ませました。

私の家が形だけの檀家になっているお寺は、実家の近くにあるために母が亡くなったときに父が探して檀家にしてもらったのですが、とても長い歴史のある大きなお寺です。僧侶もたくさんおり、法要をお願いしたときにお経をあげてもらうお坊さんは、毎回違います。

今回の担当のお坊さんは、「わたしたちは座布団は必要ないから使わないのですよ。便宜上派手な座布団敷いてる人もいますけどね」「まずは施主の方からご挨拶ください。わたしのご挨拶はその後です。その順が本当の姿ですね」と、初めからいつもと違う流れでしたが、突然、渾身の力を振り絞って大声で読経を始めました。最後まで持つのかしら、と私たちが心配するくらいでした。いつも回される勤行集も使いませんでした。

考えてみると、今回が特別なのではなく、今回ほどではないにしろそれぞれのお坊さんにはそれぞれのやり方があったように思われます。同じ「法事」という行事に対して、同じ浄土真宗東本願寺大谷派の門徒であるにも関わらず、読むお経の長さや内容もそれぞれに少しずつ違っています。最初に指導を受けたときには同じことを教わっているのでしょうがそれに各々の経験値と勉強(修行)が加わって各々に独自の作法が出来上がっているように思います。それが一番如実に顕れるのが、お説法の内容かもしれません。いつもと全く違う1時間少々の法事の時間に、わたしはなんの不快感も違和感も感じませんでした。

施主として、足の痺れと戦い吹き出る汗を拭きながら、大きな身体で自信に満ちた力一杯の読経をあげておられる目の前のお坊さんの姿に、もの凄く励まされた気がしました。

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標準化(後編)

ところが、一人当たりの健診結果説明時間に医者によるバラツキがあるのはいかがなものか?というスタッフ内部からの問題提起があり、これまた先日長々と会議がもたれました。同じ金を払っているのに、検査や説明が同じでないことには不公平感が出るのではないかと云うのです。

だから、「標準化」をしたいらしいのです。同じ金額を払った受診者さんには誰がやっても同じレベルのサービスを受けられるようにしたいらしい。「標準化」はいいことです。提供する内容の質を上げてステイタスを高めることは、受診者にとっても我々にとっても望ましいことです。でも、多数の受診者をこなすための「標準化」とは、簡単に云えば「最低限の質を保ちながら、あまりバラツキのある過剰サービスはしないようする」ということになります。わたしの結果説明の方法は健診の世界ではおそらく邪道です。もしわたしのやり方を全員がしたら、たぶん時間がかかりすぎて業務が全く回らないようになるでしょう。そうなると、逆に、「標準化」のためにわたしが「普通のやり方」をするように求められるのかもしれません。

健診という事業は、経済効果を考えなければなりません。100人の受診者のうち、70~80人に効果があったら超優良企業です。でも、わたしは経営者になりたくて医者になったわけではありません。医者なら、関わった人が高々10人以下でも必ず全員に何らかの成果が出ないと意味がない、と考えるのが当たり前です。それではスタッフの給料を捻出できず、企業が成立しません。そんなことを考えながら、もし「標準化」がそのレベルで落ち着いてしまうなら、わたしは自分のやりたい健診の形を求めて、どこの施設に転職しようか?・・・そこのところが、いま、わたしの頭の中で燻り続けていて、ちょっと辛い日々です。

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標準化(前編)

健診結果説明の一人当たりの時間が、わたしは他の先生より明らかに長いです。

健診結果の説明において、「要精密検査」や「要治療」と判定された結果内容の説明についてはどうでもいいことだと思っています。何の病気を疑ってどんな検査を受ける(どんな治療を受ける)必要があるなどという内容は医者じゃなくても誰でもできます。当人がその判定に納得して詳しい専門医のモトに受診してくれればいいだけですから。

わたしが時間をかけているのは「異常なし」「軽度異常で心配なし」と判定されている項目です。「血糖異常なし」と書かれているけれど空腹時しか調べてないから異常がないかどうかはわからない。「血圧正常」と書かれてるけど早朝高血圧があるかもしれない。「腫瘍マーカー異常なし」と書かれているけど癌がないという意味ではない。・・・家族歴や体格や喫煙歴や年齢などを考えると、一見「異常なし」とみえるデータであってもそこまで話しておかないといけないと思われる人がたくさんいます。「それこそ保健師がするべき仕事で医者の仕事ではない」とよく云われますがわたしはそうは思いません。医者が「問題ない」と話した後にどんな優秀な保健師さんがあれこれ説得しても、まず聞く耳を持ってくれないからです。病気に対する行動変容は、医者がどの程度まで関与できるかにかかっていると言い切れます。ただ、現実には他にすべき仕事があるから・・・と逃げているだけです。精密検査の必要性の説明に時間を費やすくらいなら、その時間を未病状態の実体を分からせる説明に使いたい。そういう思いで、わたしは健診の世界に移ってきました。

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法事会席料理

明日、父の七回忌の法要を実家の近くのお寺で開きます。先月半ばには親戚の伯母の三回忌がありました。この歳になると毎年のように親戚の法事があります。最近は読経をいただいたあとの会席料理を、家で作らずに仕出し屋さんに頼むことが多くなりました。一同が会する広い家も少なくなってきたので、直接食事処で宴席を設けることも少なくありません。うちの場合も、お寺とお墓に近いところにある食事処を予約しました。

このときの料理内容を決めるのがとても厄介です。法事会席料理といえばどこの店でも概ね決まっています。値段さえ決めればそのランクに応じた料理が出てきます。ところが、法事会席の基本はあくまでも「酒の肴」です。酒に合うような味付けや料理内容になっていますから、ランクを上げるとその分揚げ物や油モノが一品ずつ増えてきます。でも、今はほとんど酒を飲みません。半端に離れた親戚が集まるために使う交通手段はほとんどが自家用車で、酒を飲めるご主人が運転者ですので自ずと酒は飲むわけにいきません。さらにみんなどんどん歳を取ってきました。今回予約した店は昨年母の法事のときにも使った店ですが、昨年あまりに多すぎて料理が余ったので、今回は1つランクを下げたもので予約しました。何しろ腐れやすいこの季節、余り物を持って帰ることすらできません。

きょうび、年寄りと運転者ばかりしか列席しないことが標準になりつつある法事。仕出し屋さんやお食事処では「法事会席」の料理内容を根本から考え直して、より現実にあったアレンジをしていただきたい。

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おやつと間食

今回も、職場の広報誌寄稿コラムの転載です。2006年7月号です。

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おやつと間食

いまやダイエットの最大の敵とみなされている「間食」。「これに手を出さなければやせられるのに、今日もまた誘惑に負けてしまったダメな私」なんて、溜め息がどこかから聞こえてきます。間食の否定は健康のための前提条件らしく、学会では間食を摂らせない方法ばかりが議論されています。でも人間の欲求の中で最も基本で大事なものが食欲です。だから「食べる」行為で煩悩と戦わせられるのはとてもつらく、たとえ学会でカロリー制限と寿命に正の相関関係があると発表されても、食べ過ぎない人ほど健康が維持されているというデータを有名な学者が示そうとも、目の前の魅惑の誘いの前ではほとんど無力です。

インターネットを検索すると、「間食=おやつ」と出てきます。昔の農村で、夜明けと同時に起き出て野良仕事をし、遅い朝飯をとった後は夕食まで食事がないので、小腹の空いた八つ時(午後2~4時頃)にうどんやおにぎりなどでエネルギー補給をしたのがおやつの語源です。間食は栄養補給の意味合いが強いので、当時はおやつも間食のひとつだったのでしょうが、全く動かず腹が減らなくても朝昼晩たっぷり食べるようになった現代人には、これ以上の栄養補給は必要ありません。だから「おやつ」は小休止=コーヒーブレイクだと考えるべきでしょう。ずっとパソコンの前に座りっぱなしだったり何時間も会議が続いている人たちにとって、「ちょっとお茶しない?」のお誘いタイムは本当にありがたいものです。糖分補給が脳の疲れを癒してくれますし、世間話(グチ?)をするだけで心のリフレッシュもできます。せっかくのおやつタイムですから、食べることに熱中しすぎず、皆さんと「時間」を楽しんでもらいたいと思います。

栄養補給が重要だと言われている子供たちにとってさえ現代のおやつはただの脂肪蓄積にしかなっていません。おやつの人気一番はダントツでスナック菓子だそうですが、スーパーでカゴ一杯にスナック菓子を投げ込んでいる親子を見つけるにつけ、お母さんがあの子の人生を潰しているんだよなあ、と溜め息を漏らしてしまうのは職業病でしょうか。健康を考慮した菓子もたくさん出まわっていますが、健康に留意し過ぎたお菓子はおやつとしては全く魅力がありません。あのカロリーリッチ・脂肪たっぷりな媚薬のような味と香りだからこそ理性を失ってむさぼり食うのです。もし彼が我慢して一袋だけを選んでカゴに入れることができたなら、わたしは拍手を送ります。今の子供たちにとっての「おやつ」のあるべき役割は、栄養補給ではなくてお母さんとのコミュニケーションでしょう。「ただいまぁ!おなか空いた!今日のおやつは何?」「今日は学校楽しかった?」・・・手作りのおやつで出迎えなさいとはいいませんが、せめて今でもこんな会話をおやつの時間にお子さんとできていますか。

なかなか筆が進まないので、仕事場を抜け出して、某所でコーヒー飲みながらリフレッシュ休憩してきました。ついつい1時間も油を売ってしまったことは内緒にしておきましょう。

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三浦雄一郎さんの挑戦

冒険家の三浦雄一郎さん(75)が5月26日にエベレスト登頂に成功したというニュースを読みました。残念ながら前日に76歳のネパール人が登頂したために最高齢登頂記録更新はならなかったそうですが、70歳の時にも一度登頂していますので、自己記録を5歳更新しました。

数年前に、抗加齢医学会の市民公開講座を聞きに東京の池袋まで行ったことがあります。そのときに三浦さんの生のお話を聞きました。講演活動に忙しくていつの間にか超メタボになっていた身体を、もう一度登山できる身体に戻すためにどんなに苦労したかを話してくれました。最初は近くの山歩きでも息が上がったそうです。お父様と息子さん揃っての冒険家一家のその中心として名を馳せた三浦さんですので、本当に情けなかったと思います。ただ、その後にエベレスト再挑戦を目標に立ててからの日常はやはりさすがにプロです。プロとアマチュアの差は、単に身体能力の差だけではなく、高いモチベーションを持ったときの意志の強さと精神的な瞬発力にあるのではないかと感じました。

俳優さんにしても政治家にしても、傍から見て「歳をとったなあ」と感じる人たちがいます。でも、彼らもひとたび高いモチベーションを持ち始めた途端に別人のスーパーマンになります。逆に、表舞台から引いたら途端にしぼなえて、どこぞの爺ちゃんかわからなくなったりします。プロスポーツ選手も然り。

ついつい、「ま、いいか」と諦めがちになっている昨今のわたしに、どなたか意志力を高める極意なんぞを教えていただきたい!

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ミイラ取りがミイラになる

7年前、わたしが循環器内科の救急臨床の現場から健診の世界に移ったとき、わたしには絶対伝えたいと思っていたことがありました。「生活習慣病に対して、世間の皆さんがあまりに数字に一喜一憂しすぎている。人間の身体はそんな柔なものではない。ちょっとコレステロールが高くてもそう簡単には心筋梗塞にはならないし、ちょっと血圧が高くても脳卒中になる人はそう多くない。むしろ検査値に囚われすぎてしまって人生をつまらないモノにしないでもらいたい!」ということです。「健診の結果に対して保健師さんが毎年厳しい批判をするので頑張りました!」というある女性が、検査データは素晴らしいのに表情がちっとも楽しそうでなく萎れていました。これでは本末転倒ではないか!それを伝えたかったのです。

ところが、健診の現場にきて、自分が知らなかった臨床データが沢山存在することを知りました。世は自分が思っていたほど甘くない方向に一直線に向かっていることも知りました。たしかに数字に惑わされすぎている人は少なくないですが、本当はもっと気にしてほしいのにほったらかしている人がはるかに多いことも知りました。

健診医になって1年がたったときに、順天堂大学の河盛教授が監修した研修会に参加しました。「生活習慣病放置病!」・・・せっかく健診で病気を見つけておきながらそのまま放置していたために、病気が悪化してからしか私たちの元にはやってこないんです。私たちがどんなに悔しい思いをしているかわかりますか?この状態を作ったのは、あなた方の責任ですよ!・・・彼は我々に熱く語りかけました。臨床現場の代弁をしたくて健診にきたのに、現実には見事に自分の甘さを思い知らされました。

いつの間にか健診センターで一番口うるさい医者になってしまいました。

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哲学者たち

昨日、ある知的障害者施設の定期健診に行きました。昨日は特に「重度障害」の方が多く来ました。わたしは縁あってこの施設の健診に毎年行かせてもらっています。さすがに「重度障害」なので入所者の歴史も古く、受ける側もする側もかなり慣れてきた印象があります。

約20人の入所者の皆さんが一斉にホールに集まってきました。初めてのスタッフはその異様な雰囲気にギョッとしたことでしょう。ニコニコしている顔、怒っている顔、無表情の顔、泣きながら騒いでいる顔・・・わたしは、いつもと同じ顔(相手がわたしのことを覚えているかどうかは知りませんが)の彼らを見るとホッとします。「今年も全然変わってないなあ」とつい呟いてしまいました。彼らに初めて出会ったのは5、6年も前のことです。彼らは歳を取らないのでしょうか?

哲学者のような顔をして一人でブツブツ念仏を唱えたり、ニコニコしながらホールを走り回ったりしている彼らの頭の中にはどんな世界があるのだろう?毎年彼らに会い、彼らと話し、引っ張り引っ張られしながら、彼らの頭(心)の中の世界にほんの一瞬でもいいからわたしを引き入れてもらいたいと思いますが、いつも素通りされます。だから、彼らと毎日付き合っている引率の先生方につい嫉妬の感情を持ってしまいます。

赤いTシャツを着た一人の青年が静かに採血を受けていました。なかなか血管が見つからず何度も刺されましたが、じっと座っていました。ようやく終わって席を立つとき、彼はおもむろに駆血帯を手にとってそっとキスをしました。「かっこいいなあ」と思ってつい微笑んでしまいました。「先生、今日はずっとニコニコしてませんか?」とスタッフの一人に云われました。「うん。だって楽しいじゃない!」

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枯死卵

わたしたち夫婦は子どもを授かりませんでした。

妻は生理不順が強く、東京に住んだころから不妊治療を始めました。ホルモン剤を服用するたびにゲーゲー吐きました。壮絶な日々でしたがわたしには何もできませんでした。九州に帰ってきて、ある地方の病院に赴任しているとき、妊娠が確認されました。二人で大喜びしました。彼女は定期的に熊本の病院に検診に行きました。一番幸せな時でした。でも、行くたびにエコー検査を受けましたが、いつまでたっても胎嚢だけしか見えませんでした。わたしたちの赤ちゃんは、結局最後までわたしたちの前に姿をみせないままでした。いつまでも母体の中に残しておくのは危険だと主治医に云われ、わたしたちは人工的に出してもらう決心をしました。わたしはこのとき初めて「枯死卵」という言葉を知りました。「枯れて死んだ卵」・・・とても無機質で冷たい言葉だと思いました。まだ生き物として認められない「モノ」だという意味だと感じました。彼女の手術には彼女の母が付き添ってくれました。退院した日、暗くした部屋の中で二人で肩を抱き合って声を出して泣きました。

その数年後、また妊娠反応が出ました。今度はエコーにちゃんと映るまで皆に云わないでおこう、と決めました。受診するたびに二人してヒヤヒヤしましたが、順調に経過しました。「そろそろ見えた?」「何か、らしいものくらいだって。」その繰り返しの中で、一番心配していた事態が起きました。ある日急にお腹を痛めはじめた彼女は、流産を宣告されました。またしてもわたしたちの赤ちゃんはお腹の中に誕生した姿すら見せてはくれませんでした。

わたしには、無の中から命の点が生まれるということがとてつもなく奇跡に近い現象だと思わずにはいられません。二度目の流産の時には二人に涙はありませんでした。何かしらの覚悟をしていたからかもしれません。

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カギをかけるか開けるか

わたしの両親は教師でした。世話をしてくれていた祖母が寝込むようになって叔母の家に移ってから、わたしはずっとカギっ子でした。わたしには4つ違いの姉がいます。彼女の帰りが遅いときなどは一人で留守番をすることになります。学校から帰って一人で留守番をするとき、わたしと姉は全く逆の行動をとります。

恐がりのわたしは、とにかく家中のカギをかけて回ります。知らないところから泥棒が入ってきたら怖いからです。家中の部屋のドアも閉めてしまいます。そして、一番端にある自分の部屋に籠もって遊びます。トイレに行く以外はできるだけその部屋からも出ないようにします。でも姉は、まず家の中の主だったカギを全部開けて回ります。大きな窓のカギも開けます。「そんなことしたら怖いやん。泥棒が入ったらどうするの?」とわたしが非難すると、即座に云い返されました。「泥棒はカギを壊してでも入ってくる。もし泥棒が入ってきたときに、あわててカギを開けようとしても間に合わなくて逃げられないじゃない?泥棒がどこから入ってきてもすぐに逃げられるように開けておくのよ。」と。

不思議と「そんな屁理屈を云って!」とは思いませんでした。うちの姉の云っていることは正解かもしれない、と感心して納得しそうになりましたが、わたしには到底できないことですからその後もカギはかけています。ただ、全く同じ事に対しても発想の仕方には真逆の考え方が存在することを子どもながらに知りました。どっちも、貧乏性の取り越し苦労であろうことには変わりはありませんが。

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母がくれたもの

「手遅れの胃がんになる人は検診を受けない人だ。だから自業自得だ!」

学生実習のときに、外科か消化器内科の先生が堂々とそう云い切ったのを、悔しい思いで聞きました。母は、仕事をしていたときも退職してからも検診を欠かしませんでした。「何だか胃の調子が悪い」と云って、検診で胃透視を受けた半年以内にまた市中の病院で検査を受けましたが何も見つけてもらえませんでした。その半年後、娘が出産のために里帰りしてたまたま受診した某公立病院で、勧められてもう一度検査を受けた時にはすでに肝に転移していました。「この市の医療水準はこんなに低いのか!」県外から就任していた当時の主治医は、悔しがりながらわたしに1枚のレントゲン写真をくれました。胃の噴門部にえぐれたがんがクッキリと写っている写真でした。「これから医者になる君は、この写真の意味するものをいつも胸に抱いて、立派な医者になりなさい。」

付き添いでベッドサイドに寝ていたら急に持続点滴のアラームが鳴りました。夜中でした。ナースコールを押しましたがなかなか来てくれません。もう一度鳴らしました。尖りまくっていた当時のわたしの怒りが限界線を越えそうになりました。「大丈夫ですよ。問題ありませんから。」やっと来た夜勤のナースのそのことばに切れました。「大丈夫だろうがなんだろうが、夜中の暗闇の中でピーピーとアラームが鳴り続ける不安感をおまえは理解できないのか!それでもプロか!」・・・母の前で爆発させてしまった自分の身体の震えをしばらく押さえることができませんでした。「そんなに怒りなさんな。看護婦さんも忙しいんよ。問題なかったんやけん、それでいいわ。」母はこともなげに静かに云いました。しかも、翌日は病室に来たナースにわたしのことを一生懸命謝っていたことを後で聞きました。本当に凄い人だと思います。

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母のこと

今日はわたしの母の祥月命日です。享年満55歳でした。彼女の誕生日は・・・8月下旬だった気がしますが覚えていません。生きている間は誕生日を祝うのに、どうして亡くなると命日ばかり覚えるのでしょう?わたしがこの世にいることに影響を与えるのは彼女の誕生日であって、亡くなった日ではないはずなのに・・・。

わたしは彼女が大好きでした。両親共働きのために典型的なばあちゃんっ子だったわたしは、農繁期になると親元を離れて田舎に連れて行かれました。ですから家にいるときはいつも母に着いて回りました。彼女は典型的なO型気質で、若干大雑把な性格でしたが、争いを嫌い、決して人の悪口を云わない人でした。小学校の教師をしていました。夕食の後にコタツでテストの採点をしながらすぐに居眠りを始め、ミミズの張ったような線を書き込むのが常でした。わたしはよく生徒たちのテストの採点や成績表(エンマ帳)記入の手伝いをしました。その時に、彼女は、教え子たちのいろいろな長所を嬉しそうに語ってくれました。気になる子どもたちのことも話してくれました。「この子は良い子なのに、ちょっと性格が荒いのよね。どうしたら優しくなるだろうか?」・・・わたしも子どもなのに、まるで大人に話すように、そんな相談をしてくれました。

彼女は若くして胃がんの肝臓転移で亡くなりました。入院中、まだ学生だったわたしは、1~2ヶ月に1度は付き添いの泊まりに行きました。いろいろな話をしました。でも、わたしの人生の相談はできないままでした。彼女がもうしばらく生きていてくれていたら・・・そう思うことはよくあります。彼女があの世から見届けようとしているわたしへの宿題は何なのでしょう?

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あいさつする病院

職場の広報誌の最新号が発行されました(2008.4月号)。コラムをそのまま紹介します。

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外来が始まるよりはるか前、まだ夜が明けきらない早朝から、病院のフロアは活動しています。救急患者に対応してほとんど寝られなかったであろう守衛さんや事務スタッフが、疲れた顔で「おはようございます」とあいさつをしてくれます。眠そうな顔で早朝出勤してきた病棟スタッフ、フロアの清掃スタッフの皆さん、外回りの環境整備の人たち、あるいはこの早朝にフロアにいる一般の方の多くもまた、顔見知りでなくても自然に朝のあいさつを交わします。そこには昼間の殺風景な光景とはちょっと違うホッとする空気があります。そんな中で、私が密かに楽しみにしているのは、あるフロア掃除担当の青年スタッフのあいさつです。決して元気いっぱいの大声ではありませんが、その優しい眼差しから出てくる静かで澄んだ「おはようございます」には、彼の人柄がうかがわれ、本当に朝から心が癒されます。

禅問答で、相手の悟りの深浅を計ることを「一挨一拶(いちあいいっさつ)」というそうです。「あいさつ(挨拶)」ということばは、それに由来します。「挨」も「拶」も「押す」という意味で、「何度も押し合う」という意味が始まりだそうです。ですから、「あいさつ」は単なる儀礼的な合言葉ではなく、交わすときの言い方や顔の表情の中に相手の心の中を見て取ることができるといってよいでしょう。

廊下ですれ違いざまに「おつかれさま」と声をかけたにもかかわらず相手に無視されたことはありませんか?仕事や年齢の上下関係に関わりなく、何度声をかけても返答してくれない人もいます。そんな相手をみて、あなたはどう思いますか?「何様のつもりだ!もう二度とあいさつなんかするものか!」と腹を立てますか?「あれ?なんで無視されたの?わたしがあの人に何かした?」と自問自答して自信喪失に陥りますか?それとも「きっと聞こえなかったのだ。考え事していたのかしら」とか「返答してくれたけどきっと私が聞き取れなかったのだ」とか勝手に解釈して深く気にしませんか?相手にもよりますが、おそらくどのパターンも経験したことがあるでしょう。私は基本的には自信喪失パターンです。自分と相手との関わりだけでなく、関係ない自分の仕事ぶりや言動にまで思いを及ばせて自分の非を探します。若い頃はいつも怒り心頭パターンでした。それだけ自分に自信があったのでしょう。そして最近は自分がきちんとあいさつできたからそれでいいかな、と思ってあまり気にしなくなりました。そう考えると、返答を待つという行為を通して、「あいさつ」は自分の心の中の状態をも見事に映してくれているといえます。

病院のように複雑な人間関係の大組織の場合、その価値は医者や看護師が優秀かどうかということよりも、むしろいつも明るいあいさつがある病院であるかどうか、そんなスタッフがたくさんいるかどうかということではないかと昔から思っています。毎朝、早朝の外来フロアの風景をみながら、うちの病院にもあいさつが溢れていることを誇らしく思います。

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かっこいい

鎌田實先生の「あきらめない」紹介シリーズも今回までにしましょう。

最後に、まだ紹介していない文章の抜書きから、「いいなあ」と思った文章を書きます。

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どこかの大陸を走っているとき、80歳ぐらいの老ライダーと路上ですれ違った。美しく輝いていた。かっこよかった。「まるで少年のようだ」と、彼が声をかけた。老ライダーは答えた。「少年になるまでに80年もかかってしまった」  (戸井十月・作家・ライダー)

・・・・・うーん、声が出ない。・・・・・オシャレだなあと思った。

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「奇跡がおきた。・・・・・まさかと思っていた。しかし、すごいことがおきた。」(「希望の中で生きる」より)という文を読んだときに思い出したのは、「心臓の暗号」(2008.3.26)http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/03/post_dc31.htmlで紹介した、「『自然の法則を越えるような奇跡は存在しない。奇跡とは、自然の法則に関する我々の知識を超えて起こるものを指しているだけだ』(聖アウグスティヌス)」ということばでした。

ことばって、使い方しだいで本当に人生に大きな力を与えてくれる。今さらながら、凄いなあ!と思います。

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円形脱毛症

数年前、旋毛(つむじ)を中心にちょっと大きめの100円ハゲ(円形脱毛症)ができたことがあります。皮膚科に行ったら、半年くらい前に何か大きなストレスがありませんでしたかと聞かれました。私には確かに心当たりがありました。上司からある宣告を受けたあと、1日に1~2時間しか眠れないような睡眠障害に数ヶ月悩まされました。組織の中での自分の存在意義を自問自答し、このまま今の仕事をしていていいのか?と悩み抜いた時期でした。

ちょうどその頃、ある企業で一人の若い女性の相談を聞くことになりました。産業医としてメンタルケアの助言を求められたのです。自分がこの世に存在する意味はないんじゃないかという悩みを切々と語る彼女の話を聞きながら、「今のわたしはこの子と同じだ!」と感じました。これが「うつ」なのかと思いました。彼女の姿を見ながら客観的に自分をみつめることができました。だからあまり大きな深みに入る前にうつの螺旋階段から脱出できたのかもしれません。自分の力で達観したからこそ見え始めたことはあります。自分はどんな医者になりたいと思って医学部に入ったのか、忘れていた初心を思い出すことができました。やりたいようにやらせてもらえる機会は有効に使いたいし、もっと他にしなければならないことがきっとあると、今は信じています。

新年度に人事異動がありました。うちの部署にも見ててちょっと危なっかしいかなと感じる人たちがでてきました。今、まっただ中の彼ら、彼女ら。どうか自らの力で踏み越えてほしい。決して存在意義の否定などありえないのだから。今回も、鎌田實著『あきらめない』から好きな文章を抜粋してきました。

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「がんばろう」と言っている間は一本の道しか見えない。その道から逸れてはいけない、落ちこぼれてはいけないという意識が働きつづける。たくさんのストレスを背負う。心が疲れる。ところが、「がんばらない」と、「ない」という積極的な強い口調の二文字をつけて言った瞬間、道は一本ではなく、三つも四つもあることがわかる。

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選択肢

以前紹介した柘植あづみ先生の連載コラム「あなたは病人ですか?」(2008.2.26)http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/02/post_df62.html )の続編「あなたは健康ですか-病気・健康・元気」(MMJ 2008.4)を読みました。自分は「元気」である、だから「健康」である、と考えているガン患者さんが少なくないという現実は、前向きな考え方をしている人が思いのほか多いことを示しており、とても心強い気がしました。読みながら、「悪くないな」と思わずつぶやいてしまいました。

そのコラムの中に、柘植先生の叔母さんが膀胱がんになってその告知を受けたときの話が出てきます。主治医から、尿路変更手術と人工膀胱の使用、腫瘍の切除手術、放射線照射、化学療法などの選択肢と余命の予測が説明されたそうです。このとき、彼女が主治医に対して質問したことば、

「死ぬまで元気でいられるのはどれですか?」

・・・これはとても深いことばだと思います。一番長く生きられる方法ではなく、最期まで元気でいられる方法を選びたいと考えてそれを素直に表現した、彼女の人生哲学に脱帽しました。人生哲学が乗っかったことばには大きな力があります。コラムはこれで終わっていますが、この問いに、主治医はどう答えたのでしょうか。医療人であるわたしはむしろそっちに興味があります。

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区切りのある恐怖、区切りのない不安

今でも、がん告知は大きな問題です。昔に比べれば積極的告知の風潮は強くなった(うちの病院は原則として全員告知の方針です)のでしょうが、自分の運命を自分自身で整理することの不得意な日本人には、なかなか受け入れにくいものがあります。うちの妻は「がんと分かっても知らせないでほしいし、お母さんががんになっても教えてほしくない」と云い続けています。

進行がんが初めて発見されたら「余命3ヶ月、長くて6ヶ月」などという区切られた運命を予言されます。きっとさほど細かい計算の元で発せられた人生リミットの数値ではないでしょう。でも、区切りをつけられたときから恐怖感や絶望感の波は何度も何度も吹き出してくるのです。自分の人生に後悔を残さないように自らやりたい整理をしてもらいたいから告知があるのだと思いますが、人生はいつか必ず終わりを迎える、それがちょっと早くなるだけさ、とうそぶいてみても、リミットの日が徐々に近づいてくる恐怖感に自分だったら堪えられるだろうか、と考えることがあります。

では、告知をうけなければどうか。徐々に病状が悪化する中で、自分の病気は悪いものではないか?と疑心暗鬼になり、一体いつまでこんな苦しみを味わわなければならないのかという不安感は大きくなるばかりです。身体の辛さ以上に周りのだれもが信じられない心の辛さに自分は耐えられるだろうか?

いつかはやってくるピリオドの瞬間が、いつなのか分かってしまう恐怖と、いつまで続くか分からない不安と、自分はどっちがいいだろうか?

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ターミナル駅

ガンの治療や重症心不全患者などの人生の最期を「看取る」行為をひっくるめて「ターミナル・ケア」と云います。日本語では「終末期医療」と云うようです。このうち、末期ガンのケアを専門に行う施設をホスピスと云います。やっと日本でも市民権を得た感があります。ホスピスの語源は、聖地巡礼者を泊めるような小さな教会hospiceからの転用だと聞いています。昔は、「がんセンターに行け」と云われたら死の宣告を受けたと思い、「ホスピスへ行け」と云われたら医療から見放されたと悲観したものですが、素晴らしい人生だったと思えるものにするために人生の終末期を過ごす桃源郷にしたいという思いが、宗教観の乏しい日本人にも受け入れられるようになったのは素晴らしいことだと思います。

わたしは、「後期高齢者医療制度」という用語が顰蹙を買ったと同じように、「ターミナル(終末期)」ということばが嫌いでした。「もう最期だから、最期くらい苦しまずに逝かせてやりたい」という諦観に似たお節介がどうしても好きになれなかったのです。

鎌田實著『あきらめない』の中に、そんなつまらないこだわりをもったわたしの心に、ズシンと響いた素晴らしい教えがありました。肝臓がんのある高名な患者さんの言葉です。

「人生のターミナル駅に近づいているの、わかるんだ。終着駅ってもの悲しいよね。でも、おもしろいことに気がついたんだ。終着駅ってたくさんの列車が各地から到着するんだけど、集まった列車は、またそれぞれの土地へ向かって必ず出発するんだよね・・・・・。」<五年生きた。いよいよ逝きます」より転載>

終着駅は始発駅。当事者になってここまで達観できるのは難しいですが、医療者としてはその思いをどこかに持っていたいと思います。

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せっかく・・・

同じ病気で、同じ専門チームの検査と治療を受けたとしても、その人の運命が同じとは限りません。クリニカルパスという流れ作業にきちんと乗って順調に退院できても、必ずしも退院後の生活が同じとは限りません。どんな治療を受けたかということよりも、治療を受けた後にどんな生活ができたかの方がはるかに重要なのに、クリニカルパスは個別のその部分にはほとんど関与していないのだということを忘れてはいけません。若い女医さんが「これでは意味がない」と云った主治医の存在意義は、本当は一番大きいのだと思います。退院の時点で、各々のユニークな生活環境に入り込んでどこまで助言と注意を与えてあげられるか、それは主治医にしかできない最大の見せ所なのに、とても軽視されている気がします。スキルの優秀な「名医」という治療屋さんは多いかもしれないけれど、○○さんの人生が自分の助言にかかっているのだという自負をもっている医者が少なくなっている気がしてなりません。

昔、ある町立病院に勤務しました。とても坂の多い町でした。患者さんの中には、うちの病院で専門の医療を受け、「急死に一生を得た」患者さんがたくさんいます。大きな手術を受け、せっかく元気になって退院してきたというのに、家に帰ってもじっとして動かない人ばかりいました。「せっかく治療したのだから、もっと動きましょうよ。」と云っても「怖くて動けない」と云います。家の前にある30mほどの坂道を上がってもいいのか、家の狭い階段は登ってもいいのか、車の運転ができないが街のスーパーまで食品を買いにいってもいいのか、セックスは普通にしていいのか、細かい注意点はきちんと教わっていませんでした。こんな人生を送るのなら最先端医療を受けた意味はないじゃないか!と愕然としました。彼らに、「私が責任取るから次はここまでやってきてごらん」と宿題を出しながら無理やり動いてもらった経験を思い出します。

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流れ作業に対する謀反

うちの病院に研修にきていたある女医さんが、謀反を起こしました。「わたしがやりたい医療はこんなんじゃない!」と、突然アパートに籠もって出勤しなくなったのです。

わたしたちの病院では、患者さんに出来る限り同じレベルの医療を提供するため、チーム医療を推し進めてきました。たまたま主治医になった医者次第で受ける医療水準が違っていたのでは不公平だという観点から、同じ病気で入院したなら、専門の心エコーチームがエコー検査をし、シンチチームがシンチをし、カテーテルチームがカテーテル検査をします。それぞれに専門の医師が診断を下し、トータルでどう治療すべきかを全員の医者の揃ったカンファレンスで決定していくのです。クリニカルパスの原型ともいえます。

これでは、主治医は何のために居るのか?彼女の悩みはとても良く理解できました。結局彼女は数日後に上司に説得されて出勤するようになりましたが早い時期に出身大学に帰る事になりました。彼女の医者としてのキャリアを考えると、こんな医療のカタチもあるということをきちんと経験しておいても損はなかったんじゃないかとも思いました。

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「現代医療は病気だけを診て、私という患者を診てないんですね。私のなかにおけるがんを診ていて、私という人間を診ていない・・・」(高木仁三郎)
「大腸がんが見つかったときは、大腸の専門家が診てくれ、肝臓の転移が始まったときは、肝臓の専門家も加わって診てくれました。いつでも、それぞれの専門家がよく診てくれました。でもね、丸ごとのぼくを診てくれる人はいないんだなあ。」<鎌田實『あきらめない』:「丸ごとのぼくをみて-現代医療批判」より転載>

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「あきらめない」

以前紹介した(「わたしがこどもだったころ」(2008.1.14)、わたしが尊敬する鎌田實先生(諏訪中央病院)の「あきらめない」(集英社)を一気に読みあげました。私の心に響くものばかりで腹一杯になりました。気に入ったフレーズをここに書き出して紹介しようと、読みながらページの隅に折り目を入れていたら、あまりに多すぎて厚さが倍くらいになってしまいました。

鎌田先生が主張したい医療のあり方ははっきりしています。「人間を人間としてみる」という医療従事者としてはごく当たり前のことです。「人間として生きる」ことの尊厳を最も重要視し、そのための応援歌をいつも力強く歌っている人だと思います。

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「日本の医療は、臓器とか細胞から病気にアプローチするというかたちが主流になっているなかで、できたら「一人の丸ごとの人間」としてみてあげられないだろうか、といつも思ってたんです。」
「特に、今の医療というのは、人を相手にしているというよりも病気を相手にしている、あるいは臓器の不全と闘っている、極端な場合には、病気は治ったけど、その人の生活が死んだという、変なことすら起こりうるような状況というのが、明らかにあるわけですから、それでこの「面倒をみる」という言葉にすぐ惹かれたんですね。」
「ぼくが『面倒をみる』というとき、一人の人間を丸ごとみるだけでなく、家族のことや地域のことも考えたいと思ってきました。(中略)医師のほうは、もうこれで自分の仕事は終わり、「やった、やった、治したぞ」と思っていて、その患者が足を引きずりながら杖をついて帰って行く先が、どういう地域で、どういう家族とどういう生活をしていくかということを、今の医学は考えてくれないですね」<「面倒をみる」鷲田清一(阪大教授)との対談から>

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わたしもそんな医療にずっと憧れてきました(「カルテメモ」(2008.1.27)が、ほとんど何もできないままに臨床医を卒業しました。

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病気博士

医者の不養生などと云われますが、私は意外に小さな病気をちょこちょこ患ってきました。私の人生の中で日常茶飯事になってしまったのは尿管結石です。19歳の時が始まりですから歴史はとても長いですが今でも年2~3回は排石します。今回の発作は約半年間私を悩ませました。私はいろいろな発作パターンを知っています。最初の頃は半ショック状態で救急外来を受診したこともありますが、最近は何となく発作に慣れてきました。尿管結石の発作は必ずしも七転八倒の疝痛発作とは限りません。ちょっと腰が重いとか尿が濃いとか、典型的でない症状の中に結石の可能性があったりします。こういうことは、経験した人にしか分からないもので、教科書の知識だけでは、患者さんの相談には乗ってあげられません。

5年ほど前に小脳梗塞になりました。夏場の炎天下に毎週ゴルフをして脱水になったのが原因だと思いますが、何となくだるい・ちょっと目眩がする程度の、いわゆる夏バテ症状しか自覚しませんでした。採血検査をしたら肝酵素が上昇していましたが、同僚は「脂肪肝」と診断し、運動と食事で痩せるように指導してくれました。たまたま新しいCT装置のデモのボランティアとして被検者になってみたら大きな影が小脳にみつかりました。当時は人工産物だろう?とか云われましたが、昨年脳ドックでMRI検査を受けたらすでに立派な梗塞になっていました。小脳梗塞なんて、こんなもんなのか、と思いました。

腰椎椎間板ヘルニアも画像上は神経がほとんど繋がっていないように見えますし、実際左足はいつも痺れています。普通なら手術のことを考えたりするらしいですが日頃から普通に運動をしています。「慣れる」って凄いことだと思いながらも、100%の病気知らずのみが健康なのではないことを意外に簡単に理解できています。

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自信に満ちていた頃

何をするにも自信に満ちあふれている若者たちがいます。ちょっと冷たい目線ですが効率よくテキパキと事を片づける姿は、おじさんの目には別世界の宇宙人かスーパーマンにみえたりします。でも、きっとわたしにもそんな時がありました。わたしの宇宙人時代は、大学生から研修医時代でしょうか。あの頃のわたしは何にでも尖っていて、まさしく恐いモノ知らずでした。自分が正義でした。理に適わないことは部長にでも指導医にでも食ってかかっていました。自分に厳しく、だから他人にも厳しく、それが正義だと信じていました。震える声で「ふざけてるんじゃねえぞ、この野郎!」とモノを投げてその場を去ったことも数えられないほどにありました。

あるとき、自信のある人間ほど実は自分にも他人にもとても優しいのだということに気づきました。「恩師の遺言」http://satoritorinita.cocolog-nifty.com/satoritorinita/2008/02/post_46ca.html のはるか後になってからのことです。自分の歩んできた生き方がとても未熟な若造のそれに見えました。そして、自分の人生の糧にしていた「自信」がどんどん崩れていくことに愕然とした時期でもありました。

「・・・ぼくの心は丸くて角がなく、ころころしている。青年時代の一時、ぼくの心はささくれ立っていた。そのささくれが、ぼくの心のころがりを止めた。そのとき初めて、心がころころ動いていることの大切さを知った。心がアソビの動きをやめて、これしか生きる道はないと思ったとき、むしろ危険なんだと知った。人生をどう生きようかと、ころころと心が動いているときは、「安心、安心」とぼくは思うようにしている。」・・・鎌田實先生の『あきらめない』の中の一節です(「音楽の癒し力:無言館」より)。この文章を、とても良い言葉だなあと実感として理解できるようになった自分に満足。

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私が医者になった理由

母方の叔父が若くして精神を患い、ほとんど定職につくことができませんでした。いわゆる神経症の類だったと思います。かなりの気むずかし屋だったと云われていますが、何故か小さな頃から私をかわいがってくれました。心の内をうち明けるのは、親戚の中でも母か私くらいしかいなかったと後で聞きました。時々叔父の部屋に遊びに行きました。たぶん、本人の調子が悪くなったときに私の母に話を聞いてもらいたくて呼んだのに私がくっついていったのだと思います。納屋の二階を改造した叔父の書斎は本の山で雑然としていましたが、それなりに落ち着いた空間でしたので特に何を話すでもないのに部屋に行くのは好きでした。そんな叔父が、通院中の病院で小さな投薬ミスのトラブルに遭い、人間不信になったことがありました。神経症の症状を大きく悪化させてしまい、しばらく入院することにもなりました。

もうあまり良く覚えていませんが、私が医学部を受ける決心をしたのは、そんな叔父の影響だったと記憶しています。普通の考え方と普通の(というよりむしろちょっと高い)インテリジェンシーを持ったとても良い人なのに、ちょっとした人間関係のズレで周りとうまくコミュニケーションを取れず社会から孤立した人たち、そんな人たちの確固たる橋渡しになりたくなったというわけです。医学の医の字も知らなかった私は、短絡的に「精神科医になりたい!」と思いました。

もともと私自体が、話し下手の優柔不断で、すぐに尻込みするタイプ(いまだに変わりません)でしたので、その決心は自分なりに驚きました。高校時代の担任は、私のことを「コツコツと研究室に籠もって研究に没頭するのが向いているタイプ」と評してくれていましたので。

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心のカガミ

前を走っている車が妙にモタモタしています。

「何やってんだよ!」「おいおいおいおい、大丈夫かよ!」「制限時速40キロの道を40キロで走ってどうすんだよ!」「赤信号で停車中の先頭車によそ見する権利なんかあるか!」「トロのくせして信号無視は平気でするんか!」「おまえみたいな運転者がいるから事故が起きるんだよ!」・・・。

運転しながら一人で悪態をついて叫んでいたことがあります。「血液型A型の人間は、人を乗せると安全運転するけど一人になった途端に人が変わる」らしいですが、まさしく、よくそんな姿になりました。かなりかっかして運転していたこともありました。別に煽っているつもりはないのに妙に前の車をつついてしまったときもありました。

最近、前の車が同じようにモタモタしていても、全く気にならないことが増えたことに気づきました。それは歳をとってしまったからかもしれませんし、昨年接触事故を起こしたので安全運転を心がけているせいかもしれません。でもそれ以上に、この歳になって初めて自分の心に余裕が出てきたのではないかとも思うようになりました。「何やってんだよ!」と思うときは、相手が悪いのではなくて自分自身が単に焦っているときやイライラしているときでしかありません。最近あまり気にならないのは、そんな心境ではないからなのだと思います。なかなか悟りの域には達しませんが、私も少しずつ召されの世界に近づこうとしているのかもしれません。その時には、みなさん、ごきげんよう♪

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運が悪い?

朝、車で通勤している途中にいつになく何度も信号にひっかかる日があります。「なんで今日はこんなに運が悪いんだろう?」とぼやきたくなる日があります。そんな日に限って、自分の前の車が妙にトロい気がします。もっと早く行ってくれたら信号を通過できたのに、おまえのせいでまた引っかかった・・・とか。やっとその車が別の道に入ったと思ったら、待っていたかのようなタイミングで入れ替わりに別の道から割り込んだ車がまたまたトロい。信号無視や運転中の携帯電話やウインカーなしの車線変更などがいつになく気になって、そんな無法状態に対して怒り心頭になったりします。イライラしたまま職場について、そんな日は不愉快を昼前まで引っ張ったりして、これまた損をした気になったりします。いつになく引っかからずにスイスイいけたラッキーな日もありますが、何故か、そんなときはそういつまでも上機嫌ではありません。

先日、信号の数を数えてみました。家を出て職場に着くまでに24個の信号機があります。そのうち5つはよほど運が良くない限り止められます。残り19個のうち、6、7個止められると「運が悪い」と感じるように思います。逆に、それが3、4個だとラッキー!と感じることもわかりました。ということは、高々2~3個の赤信号の差で一喜一憂していることになります。ラッキーでも運が悪くても、その差は5分あるかないか。

それに気付いてからは、「今日は運がよい日」「今日は運が悪い日」「今日はどっちでもない日」と分けてみることにしました。すると「どっちでもない日」が一番面白くなく、「運がよい日」も「運が悪い日」も、何となくいつもと違う「面白い朝」になりました。

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「もったいないおばけ」

職場の広報誌コラムからの抜粋です。今回は、2005年10月号です。長いです。

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「もったいないおばけ」

ノーベル平和賞を受賞したケニア副環境相のワンガリ・マータイ氏が、日本には限られた資源を有効活用するという意味の「もったいない」という言葉があると聞いて深く感銘を受けたそうで、それをきっかけに「MOTTAINAI」運動というエコロジー活動が全国に広がっているのをご存じですか。「もったいない」…たしかに日本人には馴染みの言葉です。食べ残したら「もったいない」、まだ使えるのに「もったいない」、そんな物を買うのは「もったいない」…。「もったいない」の「もったい(勿体)」とは、もともとは「物体」=物の形・物の本来あるべき姿、それから転じて、重要な部分・本質的なものという意味なのだそうです。つまり、「勿体ない」は、「本来あるべきものがない」が語源です。

「そんなことしていると、『もったいないおばけ』が出るよ!」ばあちゃん子の私は、もちろん子供の頃からそう教わりました。お百姓さんが汗水たらしてせっせとこしらえたお米だから一粒でも粗末にできないと、今でも弁当箱の蓋についたご飯粒を残さずに食べる方はたくさんいるはずです。それが日本人の常識であり美徳です。ところがこんな日本人の誇るべき常識が、こと現代社会の生活習慣病では見事にアダになっています。「食べ過ぎなので腹八分目にしなさい」と言われても、残すことへの罪悪感がそれを邪魔します。私たちは残す教育を受けてきていないのです。多くの日本人の心の中に、子供の頃から「もったいないおばけ」がしっかり棲んでいます。中流家庭にあこがれていたうちの父は、注文した料理を残す贅沢こそがスティタスだと主張しましたが、祖母はそんなことを許してはくれませんでした。私の中の「もったいないおばけ」は超一流で、出された物を残すなど一度もしたことがありません。私の豊富な脂肪細胞は、こうやって長い歴史をもって作られてきました。実は、「もったいないおばけ」は心の中だけにいるのではありません。人体を作る細胞の一つ一つの中にDNAとして入り込んでいます。これがいわゆる「倹約遺伝子」です。日本人のような農耕民族は常に飢餓と戦ってきました。少ないエネルギーでもちゃんと生きていけるように無駄なく有効活用できる機能を細胞の隅々までに施しています。食べられなくても生きていける、そんなたくましい遺伝子は、もったいないから少しでも余ったら貯めておく、疎ましいばかりの貧乏性な遺伝子でもあります。この倹約遺伝子を持つ人が、日本人は欧米人よりはるかに多いのだそうです。

私たちは、心とからだの両方に「もったいないおばけ」を棲ませています。自然・社会・先祖への畏敬の思いを培い、生命維持のための奥深い智慧を持つ守り神です。どうもこれと戦っても勝ち目はありません。「残すのがもったいないからつい食べてしまう」という言い訳に似た奢りを、「残すのがもったいないから少ししか作らない」と改めるしかないのだと悟らねばなりますまい。きっとそれこそが人間の本来の有り様=勿体なのでしょうから。ただ、これが、なかなかむずかしい…。

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プライド

やりたいことがあって自ら救急現場を離れて6年になります。部長から、救急当番を年1,2回くらいできないだろうか?と相談を受けました。救急病院の救急外来というのは本当に修羅場の大変さです。若い医者の救急離れや新しい臨床研修医制度による医者不足の影響で、徐々に老齢化だけしてきた救急病院の医者たちが疲弊していくのは、当院でも例外ではありません。

今、現場への復帰に二の足を踏んでいる理由ははっきりしています。6年前まで救急の最前線にいた医者として、もはや当時のような医療水準を提供できる自信がないのです。急性心筋梗塞を疑う患者さんが到着したとして、さてまず何をする?当時は勝手に動いた身体と頭が、ほとんど完全に停止状態です。「そんなことはすぐに慣れるよ」と云われますが、この歳になるとそうはいかないことを自覚しています。患者さんは、どこでも誰でも良いのではなく、○○病院の専門医師のブランドを買うために受診してきているようなものです。ただの人数合わせのために医師免許を持っている者をかき集めただけでは、その期待を裏切ることになる気がします。

「救急は応急処置をするところだから、翌朝までもつ判断だけすればいい。あまり深刻に考えない方がよい。」と云ってくれる医者もいますが、私にはその割り切り方ができません。それが、昔、第一線の医療を提供してきたというプライドなのかもしれません。男の美学として、半身不随になるくらいなら手術は受けない、と云った脳腫瘍の部長を必死で説得したときをふと思い出しました。単なる奢りかもしれません。端から見ると「そんなことで?」と思うことかもしれませんが、意外に大きいこだわりなのです。

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新人さん

先日、ある歴史の古いゴルフ場に行きました。私たちの組に、4ヶ月前からキャディ研修を始めた女性が先輩キャディさんと一緒につきました。そう若くない女性の方で、キャディマナーの徹底からグリーンの読み方までかなりの量と内容に及びますので大変です。「カップ1個分スライスだと思います!」すると横から「・・・たぶんそんなに曲がりません。ちょっとだけフックです。」と先輩キャディさんのアドバイス。スライスとフックじゃ全く逆です。まだまだ前途多難のようです。「パー3のショートコースです。ピン位置が奥10ヤードですからピンまで140ヤードみてください!」「・・・たぶん風が強いフォローですから125ヤードで良いと思います。」先輩キャディーさんは凄いです。そのアドバイスで番手を一つ下げたらベタピンになりまして私は嬉しいバーディを取れました。

持って生まれたセンスは確かにありますが、結局は経験です。多くの経験をきちんと覚えているかどうか、そしてそれをうまく応用できるかどうかがセンスだと思います。キャディを始めた経緯は聞きませんでしたが、ゴルフ研修生の若いお嬢さんとは違うでしょう。がんばれ、そう若くない新人さん! 

遠い昔、研修医になって初めて患者さんに点滴をしたときを思い出しました。汗だくになりながら、「すみません、すみません」と謝って眺めた、傷だらけの患者さんの腕。「がんばれ研修医くん!みんな通る道だから気にしなくていいよ。」と慰めながら自分の腕を差し出してコツを伝授してくれた大学病院の入院患者さんたち。ある患者さんがふぅっとため息をついて呟きました。「また、新人さんたちがたくさんやってくるね。私たちも忙しくなるよ。」・・・そんな春が今年もやってきました。

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リボン・リボン・リボン

最近、にわかに、車のステッカーやスーツの襟バッジのリボンマークが目立つようになりました。私が最初に関わったのは「ピンクリボン運動」です。これは乳がん撲滅キャンペーンのシンボルで、ここ数年で一番有名になったものだと思います。先日は、秋吉久美子、オセロ中島、観月ありさなどのチャリティーヌードでも話題になりました。

そのほかにはどんなものがあるか調べてみました。

「ブルーリボン運動」には3つもの種類があります。●反検閲運動(インターネットでの言論の自由を守る:アメリカ発祥)、●北朝鮮日本人拉致被害者救出運動(日本)。●受動喫煙防止運動(カナダ発祥)だそうですが、私は受動喫煙防止だけしか知りませんでした。

「レッドリボン」はエイズ患者への偏見・差別撲滅運動、「オレンジリボン」は児童虐待防止運動かあるいは反盗聴法反対キャンペーン、「グリーンリボン」は環境保護運動かあるいは移植医療のシンボル(臓器移植、臓器提供意思表示カードの普及・啓発)、「シルバーリボン」は脳に障害がある人への偏見をなくす運動、「空色リボン」は性同一性障害の理解かあるいは性犯罪を「いたずら」と呼ぶのはやめよう運動、「ターコイズキャンペーン」は大人の発達障害者への適切な支援を求める運動、さらにリボンではないが「ブルークローバー」は前立腺がんの早期発見・治療の啓発シンボル・・・。まだまだ信じられないくらいたくさんありますが、あとは自分で探してください。

到底覚えられませんし、同じ色でも全く違う意味があって、違う主張を同じ形で表してる場合も少なくありません。かなり野放しなブームのように見えて、ちょっと食傷気味です。せっかくの真面目な運動なのに、もったいない気がしてなりません。

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ガバ下がり

10年前に急逝して突然私達の前から居なくなった同僚のK先生は、多くのスタッフからとても慕われていました。

ある飲み会で、彼はあまり呑めない酒で顔を赤らめながら私に話しかけてきました。「熊本に帰ってきてからずっと気になっていることがあ