日記・コラム・つぶやき

まめ太郎チャレンジ!中間報告

まめ太郎チャレンジ!』と勝手に命名。

わたしの毎年恒例の健康増進3ヶ月トライアル(第4回)も早くも中間点を迎えました。第1回トライアルや第2回トライアルの時のような想定をはるかに越えた強烈な右肩下がりの直線的体重減少は鳴りを潜め、第3回トライアルの昨年は4キロ減でしたが、今回はいまだに1キロ程度の変動に止まっています。担当保健師さんが心配して面談の時間を作ってくださり、体組成計のデータから、「筋肉量が少し増えて体脂肪率が少し減っている」という結果を印刷して持ってきてくれました。ありがたいことですし、うれしいことですが、まあ客観的に見て”超誤差範囲”。「悪化してない」というのが正解でしょうか。

さすがに「”まめ太郎”(渡されたライフコーダー)を持っているだけでみるみるやせていく」という神がかり的な力はなくなってますが、今回のトライアルの目標はやせることではなくて『切れ味のある腰周り作り』ですから、体重が減らないことをさほど気にしてはいないのですが、与えられた体幹トレーニングは毎日やっているし、職場の見回り2往復(歩数にして2000歩)を遵守しているのに一向に体重変化がみられないというのは、まあチャレンジ!と銘打っている以上ちと癪には障ります。

今回は、特別な3ヶ月にせずにこのままずっと続けられるトライアルにしたいと思っているので、運動も食事も無理はしないようにしています。それでも以前に比べれば夕食の後にダラダラ続ける間食はなくなったし、意識しなくても早く寝るようになったし、多動児の生活に変わりはないし、かなり変わっては来ました。だから、こっそりではあるけれど、何か目に見えたご褒美はほしいよなあ・・・無理すりゃすぐに4、5キロは減るぞと思うのを、じっとガマンする日々ではあります(ウソです・笑)。

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ブログを読まなくなる時

「先生、まだ今でも毎日ブログ書いているのですか?」
「ジャイくん、今もあのブログ続けてるの?」

わたしがブログを書いていることを以前から知っている職場の若手スタッフ(10年前から知っているからもう全然若手ではないか)や友人と久しぶりに話すと、そんなことを聞いてくれることが時々あります。

「もちろん、ちゃんと続けているよ」と答えながら、最初は読んでいたけどもう読んでないんだなということが分かって、少しだけ寂しい気持ちになります。

でも、別に気にはしていません。こっちが勝手に好きなことを書いて配信しているのだし、読み続けないとしたらそれは内容が面白くないからかもしれません。アクセス数に従って何かもらえるようにしているわけではないのだから、読んでいただける人がいればそれでありがたいことです。そう思えるほど、長い歴史になりました。

自分が気に入って毎日読んでいたのにいつの間にか読まなくなったブログの数々はなぜ読まなくなったのかと考えてもあまりよく分かりません。たとえば鎌田實先生のブログ。相変わらず、あれだけ忙しいのに毎日アップを続けておられます。これをいつのころから読まなくなったのか忘れましたが、読まなくなった理由は、忙しくなったから。仕事だけではなく、他のSNSを読んだりブログ以外の投稿に忙しくなって、ブログをゆっくり読んでいる余裕がなくなったせいでしょうか。「時間さえあればゆっくり読みたいのだけれど」と、思ってはいるのだけれど、きっと今の状態ではこれからも読まないだろうな。

わたしのブログも、一時期毎日読んではコメントをいただいていたのに、ある時からふっと消えていった読者の方々。わたしのコトバの使い方の何かが気に入らなかったのか? 内容が飽きたりしたのか? そんなことは気にはなるのだけれど、他に興味が動けばわざわざここに来ることはなくなって当たり前。

「へえ、すごいですね。ぜひもっと続けてくださいね」と最後にくだんのスタッフに声をかけられて、ちょっと嬉しくなりました。

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負けず嫌い

「あなた、すごいね。よくそこまでストイックに頑張れるね」と妻が云いました。雨の休日に朝から傘をさして散歩に出かけたわたしに対しての感想です。こんな日はこうでもしないと目標の『1日8000歩以上』と達成できないのです。「別にストイックなわけじゃないよ。このライフコーダ(=まめ太郎)に数値が出るから、これに負けたくないからやっているだけだよ」と答えるわたし。

たしかに、わたしは負けず嫌いです。

「他のヒトに負けたくない」という気持ちはあまり湧いてきません。基本的に最後の最後で自分に自信がないからなのかもしれませんが、ヒトと競って、たとえ競り勝ってもそこで得られる喜びはそう大きくないことを長い人生の中でよく分かっています。

その代わり、「自分には負けたくない」という思いは、歳とともに強くなりました。こっそり自分で決めたことを達成できたとき、堂々と何かの資格を取るために勉強して合格を勝ち取ったとき、涼しい顔をしてこっそりガッツポーズを取るのが、好き。まあ、こっそり祝杯をあげたらあまりいつまでも余韻に浸れるタイプでもありませんが・・・。

サッカー観戦は好きだけど、本当は相手がいる戦いはあまり好きではありません。今年の高校サッカー決勝の壮絶な戦いも感動の涙で観ましたが、それでも敗者がいる戦いは自分はしたくないと思います。敗者がいる戦いに勝ってもココロが満足できるわけではないから。少なくとも自分は自分とだけ戦うのが好き。そして、この戦いには負けたくない・・・まあ、酒で「負けた」とつぶやくことは少なくないけれど(笑)

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犬の目線

Facebookに「grape(『心』に響く動画メディア)」というページがあります。今回、grapeアワードの受賞作品が紹介されていました。南 栞(みなみ しおり)さんという方が書いた優秀賞作品『2017年の春のこと』を読みながら、深い慈しみのココロに充たされていつまでも涙が止まりませんでした。

16歳で逝ったラブラドールレトリバーの愛犬を偲んで、棺に入れる写真を撮るためいつもの散歩道を愛犬の目線まで下がって眺めてみたら、何もかもが違って見えた。

『路傍の草花は随分と近い距離にあり、風に揺らぐその動きは、とても大きく見えた。空は広く、そして遠くに見えた。目の前の一本道は、とんでもなく長く感じ、車道を走る車は、とてつもなく大きい物体で、随分と速いスピードで走っているような気がした。どの道も、どの景色も、低い位置から見渡すと、すべて壮大な景色に見えた。』『彼女にとって毎日の散歩は、目の前の壮大な景色を楽しみながら、ワクワクしながら歩く、大冒険だったのだ』という部分を読むと、自ずと自分の愛犬との日々の散歩と重ね合わせてしまう。いつも「お散歩行こうか」と声をかけると大喜びで跳ねまわって喜ぶわが愛犬・・・「毎日同じ道ばかり歩いて楽しいのかなあ」と云ったら、妻が「いつもの道を見回りして、変わりがないのを確認するのが楽しいのよ」と笑ったのを思い出しました。そうか、彼女はそんな壮大な景色の中で、季節の移ろいやすれ違う人とワンの姿をいつも楽しみながら歩いているのだな・・・そう思うと、時々わたしの顔を見上げて「えへへ」という顔をする彼女がなんと愛おしいことか。

9年前、14歳直前に肝腫瘍で亡くなった老犬旅立つその日まで1週間毎日添い寝したこと、その娘犬が3年前に16歳になる直前に私たち夫婦の見守る中で静かに大往生したこと、そして今ここに寄り添ってくれている愛犬ももう9歳になってしまって、この娘とも別れなければならない日がいつか来るのだなということ、そんなことまで一気に考えた時間でした。

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リケ老

先日、朝のNHKテレビを観ていたら、”82歳のプログラマー若宮正子さんのインタビュー番組があっていました。

大手銀行を定年退職した後からパソコンを操り始め、今回iPhone用アプリ「hinadan(ひな壇)」を開発して脚光を浴びたステキなシニア女史。話している内容がとてもシャープでオシャレ。それでいて常にシニア目線で(シニアが使いやすいように)開発している優しさがいい。

この番組の中で、彼女が強調していたコトバ。

「何か面白そうなことがあったら尻込みせず、
まず、とりあえずやってみる。
やってみてダメなら、やめればいい。
やっていて何か芽生えたら、それを育てると大きくなる。」

とても分かりやすいコトバとしてわたしのアタマの中に残りました。何かを始めようとするのはとてもエネルギーが要ること。歳を取れば取るほどに面倒くさくなります。やったら楽しいかもしれないけれど、やらなければいけないのかと云えば、別にやらなくても困らない。そんなことを考えているうちにすぐに時が経ち、「まあどうでもいいかな」と思うようになるものです。これが老化なのでしょうか。若宮さんがとても穏やかな表情をしながら活き活きとしているのは、この好奇心一杯の自分のココロに素直に動いているからなのだろうな、と思います。

「リケジョ(理系女子)ならぬ、リケ老(理系老人)になることが必要だと思います」という彼女の目は、まだまだ好奇心でキラキラ輝いてみえました。

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手持ちぶさた(3)

(つづき)

最近だって本は買う。たしかに小説とかはほとんど買わなくなったけれど、読みたいから買うのだし、学会出張などの時には必ず本を携行します。日頃は忙しさにかまけて本など読む気になれないけれど、関西方面には新幹線、関東には飛行機・・・仕事の書類は出さずに本を手元の棚に置く。ところが、新幹線ではビール片手に本を読み始めてもすぐに飽きてスマホのSNSに目を向けたりiPadでブログの原稿書きしたりし始めるし、飛行機では1ページも読まないうちに爆睡してしまう始末。結局ほとんど読めずに終わるのです。せっかくの”手持ちぶさた”を活かせないでいます。活字離れではないように見えて、やはり活字離れか。

最近よく温泉に行きます。ここでボーッと湯につかりながら何も考えない時間を過ごそうと努力するのだけれど、努力じゃダメですね。ふと気づいたら数かぞえてるんです。「100かぞえるまで浸かっていなさい」という父の声が蘇ってきて・・・今年の正月にゴルフ帰りに行った温泉では、ご老人が湯あたりをして倒れていて救急車が呼ばれているところに遭遇しました。わたしがそばに寄って声をかけたときにはだいぶ元気を取り戻していましたが、最後に「あー気持ちいい湯だった~」とわたしに云ってくれた彼の至福の笑顔が忘れられない。

こんな時間の潰し方が、わたしにもできるようになりたいものだ。 (終)

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手持ちぶさた(2)

(つづき)

だから今回、遊び道具を持たないまま早朝の空白の時間に無防備に晒されてしまった年頭の数分間にふと気づいたことは、この時間が意外に大事なのではないかということでした。スマホを持ち歩かない生活はこんな還暦前のオヤジでも不安になるのですが、それでも、この”手持ちぶさた”の時間をもっと大切にしたいと思いました。何も持たないようにしてできる隙間の時間・・・この時間は『ムダな時間』なのではなく、『贅沢な時間』なのだから。瞑想の時間にしても良いし、思索の時間にしても良いと思います。別に建設的なことをあれこれ考える必要もない。思索というより妄想の時間・・・それで良い。

ただ一方で、本当に文字を読まなくなった自分に気づきます。興味を持ってAmazonした本は多数あるけれど、読破したのが少なく、最近では買っただけで冒頭の数ページしか読んでない本もあります。これではいけない。最近、頓にボキャブラリーが減って単語がすぐに思い浮かばなくなっているのも本を読まなくなったからだと分かっています。昔、1時間かけて電車通勤していたときは、通勤の往復で文庫本を何冊も読みあげていました。別にハウツー本ではないし、仕事に関連する教養の本でもない。北方謙三のハードボイルドシリーズであったり、栗本薫のSF物であったり・・・「それは、あなたのキャリアに何のメリットがあるの?」と聞いてきたドクターがいたけれど、「そんなもん、ありません」と涼しく答えることができていたころ。おそらくあのころがわたしの持っているボキャブラリーは一番多かったに違いありません。 (つづく)

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手持ちぶさた(1)

昨日は仕事始め。朝から、院長の年頭のあいさつを聞くために大ホールに行きました。会が始まる5分ほど前に椅子に座って、周りの職員と短いあいさつを交わした後、特別することもないので、何をするでもなくボーっと思索にふけっておりました。

このとき、ふと、「そういえば、最近、こういう何もしない時間がまったくなくなったな」・・・そんなことを思いました。多動児であるわたしはじっとしていることができずに何かをしていないと落ちつきません。でも、それでなくても、現代社会では、どこかで待ち合わせをして待ち人を待つちょっとした時間や、あるいは電車やバスに乗っている間でも、大半の人が隙あらばスマホを取り出してうつむいて操っています。あとは本を読んでいる人がちらほら(今ではスマホでも漫画や小説は読めますが)。友人・家族と話に興じている人を除けば、独りでいる人たちの”時間の潰し方”の大半がそんな感じです。もちろんわたしも、食堂やラーメン屋で注文したモノができるまでのほんの数分の間でも、手持ちぶさたなのですぐにポケットからスマホを出して弄(いじ)ってしまいます。特段、メッセージもメールも何も来ていなくても、何かのページを出しては読みたいわけでもない情報をながめているのが日常。とにかく突然出来た小さな隙間の時間を埋めるのに、無意識のうちに何かをしようとしている自分がいます。 (つづく)

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中吉

今年も健軍神社で初詣。去年と同様、ここでおみくじを引きました。今年は『中吉』でした。

ながむれば ながむる花のあるものを 空しき枝に うぐいすのなく

”古きをすてゝ新しきにつくがよい
あまり一つの物にとらわれて
役にも立たぬことを思ってはだめです
元気を出して捨てるべきはすて
進む所へ進め”

  願事 急には無理ひかえてよし
  待人 来るでしょう
  失物 所をかえて探せ
  旅行 思いきって出よ 吉
  商売 改めて利益あり
  学問 自己への甘えを断ち目標を定めよ
  相場 目先を変えよ
  争事 勝ちにくし
  転居 十分ならず
  病気 医者を選べ

わたしが年の瀬に大きな断捨離を敢行したことを神様が認めてくれたかのようで、ありがたく受けとめさせていただきました。ちなみに、表紙の『神の教』にガツンと喝を入れられました。

”難儀苦労のある時ばかり神の御袖(みそで)にすがる気か”

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平成の申し子

今年は平成30年。もう平成になって、30年も経つのですね。ちょっとビックリです。

今年引退を宣言した安室奈美恵さんのことを『平成の歌姫』と呼んでいるのをテレビで見て、たしかのその通りだな、と独りで納得する自分。バブルが弾けはじめた平成の初めにデビューして時代を作り、平成の終焉とともに去っていく。

わたしの実家近くの小学校出身のプロサッカー選手清武弘嗣は平成元年生まれなのだとか。そうか、彼はまさしく『平成の申し子』。大分トリニータでデビューした頃にはまだまだ子供だったのにもう30歳。彼は同じ大分出身なのに、きっとわたしの”大分”と共有できることはそう少なくないだろう。

そういえば、「え、あなたは平成生まれなの? とうとう平成生まれの人が就職するときが来たか!」と嘆いたのはつい先日だと思ったのに・・・彼女も30歳・・・気付けば今どきの子どもたちのお母さんのほとんどは平成生まれの時代になったんだなあ。

などと新年早々に感慨深い思いをしております。わたしも歳を取るはずだなあ。

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