日記・コラム・つぶやき

根性で歩数を稼ぐ姑息さ

わたしはスマホで歩数管理をしています。毎日の血圧測定、体温測定、体重測定、そして歩数。今はやりのウオッチ型デバイスではないので、充電中などスマホを持ち歩いていない時間もあることを考えて、一日の目標歩数は8000歩に設定しています。これに満たないと『目標未達成』の不名誉な印がつくのです。

別に1ヶ月間全部達成したらインセンティブを得ることができるというわけでもないし、達成できないとペナルティが課せられる訳でもないのだけれど、カレンダーに不名誉な印が一日付くとちょっと癪に障るのが”人”(わたしだけか?)の常。今月は18日に一度その印が付いています。台風14号が襲ってきた日曜日。ウイークデーなら職場で動けるけれど日曜日だから外に出ることもできずいかんともし難くて諦めました。この日の歩数は2347歩。屈辱的な数字です。今月は危機がもう一日ありました。23日(秋分の日)です。夕方の段階で7400歩ほど・・・動かなかったわけではありません。早朝から山の土地の草刈りを3時間、帰ってきてから自家用車の洗車を妻の分まで一気にやって、夕方までずっと動き回っていました。でも草刈り機を操作する間は万が一に備えてスマホを車の座席に置いていましたし、洗車中は濡れないようにスマホは家の中に置いていましたし・・・だから自分の歩数をカウントしていないだけで、おそらく日頃より多く歩いているに違いないのです。

でも、記録は記録。カウントされていない以上、このままでは不名誉な印がまたまた押されてしまう! 散歩に行ったからかなり稼いだけどあと高々600歩足りないなんて・・・数字って人間のプライドを刺激しますね。「レコーディングダイエット」(体重を記録するだけのダイエット)に効果がある意味がよくわかります。あと600歩を稼げばいいのだから、と夕食後に近くのコンビニまで歩きました。コンビニに行って食べ物を買ったのでは本末転倒だから、財布も持たず、マスクもせず、ただコンビニの前まで行って引き返してきました。お隣さんが玄関先で季節外れの線香花火を家族総出でやっていて、こっちを怪訝そうな顔で眺めていましたが、おかまいなしで。おかげさまで無事に8295歩の記録をゲットできました。

独りで何やってるんだか?と思いますけどね。こういうことで、「こっそり自分に勝つってこと、意外に大事なんだよな」とほくそ笑むわたしでありました。

 

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妙な違和感

「感謝しても、しきれません」

先日テレビニュースで行方不明の女児のお母さんがボランティアや自治体職員に対してコメントした謝辞の一部です。なんか、同じような言葉を最近何度か耳にして、その都度、「なんか変」と感じてしまっていました。
「感謝しても、しきれません」
「後悔しても、しきれません」

たぶん、「○○しても」の前に、「どんなに」とか「いくら」とかいう単語が要るのではないかしら。

「どんなに感謝しても、しきれません」「いくら後悔しても、しきれません」・・・並大抵ではない感謝や後悔をしてもそれでも全く足りない、ということを云いたいわけだから、アタマにこの単語のあるかないかでは全くニュアンスが違う気がします。でも、最近は付け足さないのが当たり前になってきている感じ。まあ、社会全体がそれで理解できるのだからそれでいいじゃないかと思いますし、コトバというのはそういう変遷の中で本来の使い方ではない使い方が主流になるものなのだろうと思いはするのですが・・・やっぱりわたしは、聞いててとても気持ちが悪いです。

 

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うわさ

今朝、自宅近くの交差点で交通事故があり、こっそり見に行ったら車が1台ひっくり返っていてその周辺にパトカーと救急車が赤色点滅をさせながら停まっているのが見えました。詳細は、もうひとつの日記代わりのブログに書きましたから興味ある方は覗いていただけると幸いです

わたしは早朝の出勤前の慌ただしさとメガネもコンタクトレンズも装着していない盲目状態だったのでそそくさと帰ったのですが、入れ替わって走って行った妻の情報収集によると、
・単独事故ではなく相手の車は道の反対側に停まっていた(出会い頭の衝突事故らしい)
・辺り一面に聞こえるような大きな衝突音がしたらしい
・ひっくり返ったワンボックスカーにはもう人は居なかった
・道路の向こう側で救急隊が抱きかかえていた女性はどちらかのドライバーらしい
・重症者や死者は居なかった模様
くらいのようです。ただ、この状況、一番最初に現場に駆けつけたのはわが家のお隣の奥さん(まだ緊急車両は到着していない)なのですが、妻が駆けつけた頃にやっと服を着替えた住民達がぞろぞろ出てきた感じで、事故直後を見た人が居ないわけです。

自宅近くでは冬場に何度か火事があったりもしましたが、警察や救急隊は野次馬に何も情報はくれないので結局集まった野次馬連中で想像を巡らせることになります。どうも脇道から出てきた車に直進車が気づかずにぶつかった(のだろう)。あの交差点はとりあえず頭を出しておけば車が停まってくれるだろうという一か八か運転の輩が多い。早朝だから誰も来ないと思ってかなりスピードを出して運転していた(のだろう)。あの倒れていたドライバーは自力でひっくり返った車から脱出した(のかしら)。倒れているドライバーが他にいないがもう運ばれた(のかしら)。そんなところでしょうか。ああだこうだと近所の人たちでストーリーを作りあげた挙げ句にで三々五々自宅に帰って行ったわけです。不思議ですが、この事故のことをその後で聞いた人にはいつの間にか上記の(のだろう)(のかしら)が消されて伝わってしまいます。こういう人身事故が絡んでない事故は新聞にもニュースにも出てこないのが普通ですから、そうなるとまさしく現場に遅れていった人たちが作り上げたストーリーがまことしやかに事実として認識されてしまうかもしれないのです。

事故も恐ろしいけれど、うわさはもっと恐ろしや! です。

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「昨日、何をした?」

久しぶりの出勤で一旦玄関を出たのに車のキーを忘れて車庫から引き返す。朝の車の気温表示21℃。このまま秋になると信じて良いのかしら? 昨日は”台風一過”とはほど遠い天気が夜まで続きましたが、今日は朝から見事に晴れ上がってまさしく”秋晴れ”の様相です。月曜が休み(敬老の日)だったから通勤途中の道はとてもきれいで何事もなかったかのよう(ゴミ捨て場は袋で一杯だったけど)。職場のわらわらも全くもって先週と変わらずでした。

「ねえ、私、日曜日、何をした?」
「何もしてないよ?」
「何もしないってことはないでしょ。1日記憶が飛んでいるのよ。ガソリン入れる入れないと騒いだのは?」
「土曜日」
「買い物に行ったのは?」
「土曜日」
「お母さんとこに養生テープを貼りに行ったのは?」
「土曜日」
「じゃあ、日曜日何したのよ?」
「だから、何もしてないって。ボクは車庫のシャッターに土嚢積んだり風呂の窓の固定したりしたし、その後はサッカー見てゴルフ見て風呂に入って、それからDAZN観てさっさと寝たよ。ああそうそう、あなたはヒマだからと云ってワンのブラッシングした後風呂に入れてたじゃない?」
「ああそうだ。ずっとあの子をもがってた(※「もがう」は方言です)。なんか、完全に記憶から抜け落ちて、1日損した気分だったよ」

昨日の夜の夫婦の会話でした。ま、そうやって記憶をたどる作業は大切です。夫婦で記憶をたどりながら結論が導き出せた分だけまだまだ呆けないでいると安堵できます(どっちも間違っている可能性もあるけれど)。もっとも、週末の3日間、何を食ったかは半分くらいしか思い出せませんけれど。

 

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いよいよモチベーション急降下中

3連休なのに室戸台風や伊勢湾台風並の大迷惑な台風が直撃することになったせいでどこにも行けず、台風直撃の2日間は散歩にも行けず、家に居ても何もすることがないために、”暇つぶし”にブログを書いています。

することがないので、家のカウチに横になってテレビを点けながらスマホを弄りふと気付くと居眠りしていて、ちと小腹が空くとピーナッツ食ったり清涼飲料水飲んだりビールに手を出したり(どうせ運転しないし)。そんなうだうだな堕落がイヤだったから、何とかメリハリある一日を送ろうと頑張ってきたのだけれど、そんな生活続くともうどうでもよくなるものですよ。わたしはもう若くないのだし、嵐の中で外に出ることもままならないからといっても家で筋トレやらストレッチ運動やらやることくらいいつでもできるご時世(YouTubeググれば何でもできる)ですが「それをしないからと云って何か困るか?」と即座に自問自答すればもはやその答は”出来レース”。「面倒くさくなったり、諦めたりしたらその時点で負け、一気に歳を取り始めますよ」と受診者全員に云っているのにな。

どうでしょうね。このお腹(左手で摘まみながら)をもう一度復活させるだけのモチベーションなんて、今さらあるのかしら。

 

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ポジティブシンキング

最近、特に忘れがちになっていること。

グチや批判ではなくて愛でることや褒めることを見つける努力。

それがそもそもわたしがブログを書き始めるときの目的でしたのに、世間の暗い世相に流されて、そして自分の人生が社会から外れて終焉側に落ちていこうとしている不安感に苛まれ続けるようになって、どうしても前向きな目を向けられなくなっているのは否めない事実。「どうせ」「だけど」は使わない宣言を何度しても、使ってしまうのよ。

そんな今のわたしだからこそ、日常の生活の中から、なんとか前向きな話題を見つけ出そう。

毎日が無理でもせめて週一は何か見つけ出そう。

それがかなわないなら2週に1個は見つけ出すことをノルマにしよう。

そうしよう。

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満月を愛でる風習

先週土曜日は中秋の名月(8月の十五夜は「中秋」だそうで、八月の満月を指すときには「仲秋」ではなくて「中秋」なのだと物の本には書かれていました)。わたしは応援するプロサッカーチームの試合で隣県のスタジアムにおりまして、勝った余韻に浸りながらスタジアムを後にするときに天空に出た満月をしばし眺めました。SNS全盛の昨今、ご多分に漏れず毎日のように写真をアップするわたしですが、満月の写真は撮りません。スマホレベルでは目の前に映っている満月の感動は撮せない(ぼやけてしまう)ことを心得ているから。せっかくくっきり見えた中秋の名月なのだから、自分の目に記憶として焼き付けておくのが一番だと思いまして。

昨日の日曜日は夕方のワン散歩をしていると公園のベンチがほぼどのベンチも家族連れやカップルで埋め尽くされていました。「ここでお月見するつもりなのかな」という感じ。残念ながら昨日は雲に覆われていてまともな月は見えなかったかもしれませんが、まあそれはそれであの人達にとっては想定の範囲内なのでしょう。

日本人の『月を愛でる風習』はそもそもは平安時代の貴族の風流遊びに起因すると聞いています。満月を眺めながら酒を飲み、歌を詠み楽しむ。五穀豊穣の収穫の祝いに転じたのは江戸時代からだそうで、すすきや餅や農作物を備えるのはそのころからの風習だとか。そんな風習をしていてもいなくても、子どもの頃から聞かされていている日本人は、やはり満月を見るとその場で見とれてしまいますし、それを口実に酒を飲もうとします。”おぼろ月夜”もいいですが、やはりせっかく満ちた月であれば雲一つない夜空をバックに見るのがいい。「女心と秋の空」と云われるほどの変わりやすい季節の中で、そんないい塩梅に恵まれる確率は思いの外低いのですから、そんな偶然に立ち会えた幸せに感謝すべきです。

そして、満ちた月が翌日から欠けていく風情にも儚さとともに風流を感じる日本人のこころ、いつまでも大切にしたいものですね。ということで、今夜は十六夜を超えて十七夜。”立ち待ちの月”を愛でながら一献(酒飲みの口実であります)!

 

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椅子の高さにもの申す

パソコン作業をするときの椅子と机の高さ関係が、どこかわたしの持つ常識と違っている昨今です。職場のデスクのディスプレイ(デスクトップ型パソコン)に対峙するときに、皆椅子が低すぎてディスプレイを見上げてふんぞり返って(というかほぼ寝そべる形で)作業しているのをみて「それは人間工学的に見て絶対悪い姿勢だろ!」と何度かここに提唱したことがある気がします。

でももうそれは諦めました。彼らの若い頃からの習慣でしょうから。最近違和感を感じるのはランチタイムです。コロナ禍の黙食が常識になっていますが、わたしの働く職場の休憩室にある普通の事務用机と事務用椅子席に腰掛けて食事を取ろうとすると、決まって椅子の座面の位置が一番下に降ろされています。毎回それを一番上に上げてからお弁当を開けるのが日課になりました。ここで食事を摂っている若いお嬢様方の中でわたしより座高が高い人なんていないでしょうに。こんなに椅子が低かったらほとんど胸の位置で弁当を広げることになるでしょうに・・・「食べ物が近すぎる」とか思わないのだろうか?と考えるのですが。家の食卓のテーブルと椅子の関係と明らかに違うんじゃないのか?食堂で定食食うときの椅子はもっと高くないのか?とか考えたときに、もしや今の若い人たちって家でもこの高さ関係なのかな?と気づきました。家ではコタツ型のテーブルでメシを食うのが子どもの頃からの習慣だとか?そういえば最近のファミレスのテーブルって妙に高い気がしますがあれは深く落ち込む柔らかい椅子のせいでしょう。いつの間にか、標準が変わってしまっていたりするのでしょうか。いやいや、やはり食事を摂るときの理想的な姿勢を考えれば、きちんと背筋を伸ばして座ったときに肘が無理をしない位置(へそのちょっと上辺り)関係であるべきでしょう。そこは譲りたくないなぁ。

 

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プライド

もうすぐ14歳になるわが家の老犬は夜鳴きがひどくなったことと白内障で目があまり見えなくなったことを除けばまだまだ元気です。これまで数回前庭疾患を起こして平衡感覚がおかしくなりぐるぐるその場で廻って尻餅をつくようなことがありましたが、それも今はほぼ治りました。1年前に、生まれたばかりの子犬が新しい家族になってから急に症状が出てきたから、若い子が来たことで自分の歳を自覚してしまったのかとか心配しましたが、どうもそんなことでもないみたい。階段の昇降(わが家の生活の中心は中二階なので階段昇降がないと生活できません)で二の足を踏んでアタフタしていた時期があったけれど、老化で後ろ脚が弱ったのではなく、目がよく見えないから足元が不安なだけだったようです。

そんな彼女、庭でオシッコをしようと走ったときに足を取られてヨロヨロっとしたり尻餅をついたりすることは今でも時々あります。あるいは目測で歩くので庭の植木鉢にぶつかったり出入り口を間違えて壁にぶつかったりしてよろめいたりします。このとき、彼女は決してうろたえません。すぐに立ち上がって、まるで何もなかったかのような素振りをします。何かにぶつかってもまるで「それは想定の範囲内です」という感じのすまし顔でまたすたすたと歩き始めます。これは人間でもよく見かけるやつです。まさしく『女性のプライド』だと思います。わたしたちが後ろで見ているからこそこんな”取り繕い”をするのだと思いますが、でも、この”取り繕い”をしようとする『女性のプライド』があるからこそ、彼女は老化しないのだろうと分析しています。

人間では”取り繕い”をするのは認知症の始まりを自分で認めたくないから行う行動だと云われていますが、でもその抗いの気持ちがないならもっと早々に呆けてしまっているのではないかと考えます。みっともなくても何事もなかったかのような振る舞いをしようとする・・・以前はそれを「情けない」と思っていましたが、それこそが生への執念。だからこそカッコいい!と思えるようになってきています。

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マスク越しのわらわら

最近、急に髪をショートにする女性スタッフが多くなりまして、それでなくてもマスクしているしみんなスレンダーだし、前から見ても後ろから見ても誰が誰だかよくわからなくなってきています。でも皆さんいつもよりさらに若返ってステキです。

廊下などですれ違う度に「そういえば笑い顔を最近見ないなぁ」と思うおじょうさんがいます。マスク越しだからかも知れないけれど、とても笑顔がかわいらしいのにその分ステキさが半減する気がして、もったいないなぁと思っています。

時々歯磨き中の姿を見ると、この人こんな表情なんだ(顔なんだ)と思う人もいます。なにしろ2020年度以降の入職者は常時マスク越しの顔なので、「見慣れない人が居るな」と思っても顔がわからない。さらに髪型が大きく変わると昔からいる人ですら誰だかわからなくなるから、なかなか声もかけ辛いのが現実です。

PS)今月初めから職場ではストレスチェックが開始されました。さっそくお昼にやってみました。メンタル的なところはヴェリーグッドな”晴天”でしたが、身体面と活気が”雨”でした。まあ足腰の故障と老年期うつはいかんともし難いです(「仕事することで活気が湧くか」と云われてもねえ)。

 

 

 

 

 

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