日記・コラム・つぶやき

言い訳

何かミスをしたとき、あるいは思ったほどの成果が上がらなかったとき、「実はですね・・・」と言い訳をすると、「言い訳なんかするな、みっともない!」と叱られること、よくあります。

でも、わたしは、言い訳は大事だと思っています。『言い訳』ということばに、『言い逃れ』『自己弁護』『責任転嫁』などの負のイメージがありますが、わたしは『言い訳』はイコール『自己分析』だと思っています。自分はなぜ失敗したのか、何が想定と違っていたのか、何をどうすれば良かったのか・・・その分析は、反省というより、次への修正行動の基礎になるはずで、それもさせずに、「ドンマイドンマイ、今回のことは忘れて次に頑張れば良いんだから」と慰めてくれるのは、実は無責任というもの。

「どうしてこんなに遅れたんですか?」「申し訳ありません、言い訳はしません、弁償します」「いや、言い訳してくださいよ。理由を知りたいだけなのですから」「いいえ、申し訳ありません」「いやだから、謝ってもらわなくて良いですから理由を教えてください」「申し訳ありません」「・・・もういい、そんなもん要らないから持ってさっさと帰れ!」・・・むかし、客人が来たのでお寿司のデリバリーを頼んだら時間がかかりすぎた上に注文した品が足りなかったことがあって、菓子折持って謝りに来た店の人と玄関先で一悶着あったのをふと思い出しました。きっと運んできたバイト生が道を間違えて右往左往したのだろうと推測されるのですが、それを「こっちの『言い訳』だから、お客さんには関係ないから」と頑なに黙られるのは返って信頼を失うことになりましょう。こっちが『言い訳』を要求している以上、それは『言い訳』ではありません。それこそ相手方の都合でしかないのだから。もう20年近く前のことですが、それ以降あの老舗寿司屋から出前を頼むことはなくなりました。

でも、「人間は言い訳の動物である」とか「人間は反省はするけど学習はしない動物だ」と云われます。この『言い訳』が何度も繰り返されるようでは、失敗が無意味になってしまうということを肝に銘じるようにしています。言い訳しなきゃいけないことをしでかすのはよろしくありませんが、でも、失敗したときには大いに言い訳しましょう。そして、その失敗を元に、二倍も三倍も大きい人間になりましょう!

 

 

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風袋

恒例の4ヶ月間の職員向け健康プログラムを終え、活動量計(まめ太郎)職員健康管理室に返納しました。わたしのポリシーとして、この期間は可能な限り毎日体重測定をするけれど、これが終わったら体重計には載らないことにしています。体重の数値に縛られて生活するのを続けるのが苦痛だからです。

でも、今年は何となくその後も週に2回ほどこっそり測定しています。焼酎を飲み過ぎた日の翌日など意外に減ったりするので面白くて。このとき、実は測定前に『風袋』を引く設定にします。もともと活動量計の設定がそうなっていたから。で、『風袋』として1.0kgを引くのですが・・・明らかに引き過ぎではないかと、ちょっと良心の呵責に苛まれているところです。体重計に載るとき、白衣のズボンとアンダーシャツだけになるのです。ベルトもしていませんし腕時計も外します。どう考えても裸の身体に1.0kgも加わっているようには思えません。実際、職員健診当日の朝に更衣室で測ってから健診で測ると絶対に正式のヤツの方が重い。きっとそっちが本物なのですよね。

そう思うと、実は、この風袋引きの数値にかなりの上乗せしないと正味の体重ではないことになるのです。もう、勝手に測っているだけなのだから風袋を引かなければそれでいいのではないか?とちょっと葛藤しますが、実際に見える数値は引いた方がすっきり(少ない、当たり前)するし、そもそも体組成計のときと比較するには同じ条件がいいのではないか、と言い訳しながらそそくさと最初に1.0kgの引き算をしてから載る日々であります。

でもちょっとだけ、自己嫌悪。

 

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思索の時間

今年は春の訪れが若干早い印象で、いよいよ庭の草にも伸びる勢いが増した気がします。これから1~2週間ごとの草むしりが必須の時期・・・それは同時にわたしの思索の時間の始まりでもあります。1~2時間の自分だけの時間、草たちと向き合い、会話する楽しい時間なのであります。

うちの庭には今年は妙にタンポポが多く生育していました。いつもは花壇の中が中心なのに今年は普通の雑草に紛れてたくさんのタンポポ・・・そういえば雑草の中で、いつもタンポポやスミレは特別扱いしてしまいます。他と何ら変わらない雑草なのに、ちょっと有名なブランドなもので抜く時に良心の呵責に苛まれるのであります。しかも、同じタンポポでも花壇や植木鉢の中に種を落として咲いているタンポポとその横の地面に種が落ちてしまったタンポポとでは、どうしても運命が分かれがちになる。タンポポにとっては理不尽な話であります。

もっとも、そんな理不尽な中で生き延びるために彼らは大量の種をばらまいて淘汰の波の中を生き延びて行くのだろうし、きれいな花を咲かせているのも見逃してもらえるチャンスを得るためなのかもしれない。タンポポの花が一夜にして綿帽子に変わり一気に風に乗って飛んでいく姿はとても逞しい。だから、私は躊躇することなく、自分の気に入ったタンポポは残し勝手に生育した気に入らないタンポポは有無も云わさず抜き取ってしまうことにいたしました。

理不尽で依怙贔屓(えこひいき)な対応に目くじら立てて怒るのは人間様だけです。そんな声に昔は「だから何?」と蹴散らしていたのに、現代社会では何でもかんでも取り上げて対応しようとする。『不平等』というのは、生きとし生けるものの共通の当たり前の摂理なのではないのかしら?

 

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いきがる若者

テレビのニュースを見ていたら、時短営業の飲食店から追い出されて公園で酒飲んで騒いでいる若者にインタビューしてました。

「こんなに早くに追い出されて飲むとこないんだからしょうがない。『止めろ』と云われて止めるような人間じゃないからな、オレは!」と答えていました。今の社会でも、やっぱりいきがるんだねえ、若いもんは(笑)

そもそも『いきがる』は『粋がる』であって、『粋だと思って得意になる。また、虚勢を張る』という意味。”オレはオレのやりたいようにやるんだから、文句云うなよ!”という主張なのだろうけれど、傍で見ていたら滑稽すぎるのが常。おそらく、わたしたちの年齢の人間だからそう思うのではなく、彼らと同世代の人間も同じように感じて引いていると思います。この輩の姿はちっとも粋じゃないものねぇ。でも、若い頃って、「この体制に反発する自分の姿に酔いしれる」ことがある時期です。そうやって子どもから大人に変態していくのでしょうか。おそらく、「オレはガマンしたくてもガマンできない未熟者だからしょうがないんだよ」と云った方がはるかに潔くてかっこいいと思うけど、そんなこと死んでも云いきらんわなぁ(笑)

この時期は、それがかっこ悪くても、ダサくても、粋がることは必要なのでしょう。がんばりたまえ、若者たちよ!

 

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思いがけないこと

昨日、亡き父への恩返しのために延長の末優勝した柔道の野村選手も、あるいはこれまた延長の末に61年ぶりに春の大分県大会を制した大分舞鶴高校野球部も素晴らしいけれど、やはり何と云っても水泳の池江選手の東京オリンピック出場決定のニュースに勝るモノはないでしょう。彼女の生き様のすべてが、『感動』というよりは『感謝』・・・コロナ禍の重苦しいニュースしかない毎日に、頑張ることへのエールを彼女から私たちに送ってもらえたような気がします。

そんな4月4日はわたしの姉の誕生日です。年賀状以外全く連絡を取ることもない姉ですが、義兄のGメールに「誕生日おめでとう」の伝言を送っておいたら、夜になって電話が入りました。
「わざわざお祝いメールをありがとうございました」
「いえいえ。お変わりありませんか?」
相変わらず他人行儀な会話です。
「それがね、変わりはあったのよ」

ん?

「2月に眼が曇ってよく見えなくなったから眼科に行ったら、すぐに脳神経内科に行けと云われて、行ったら脳出血だということでそのまま1週間入院したんよ。高血圧の薬を出してもらったら少し良くなってね」

あらあら。

「眼は白内障があるから頭の方が落ち着いたら手術しましょうとか云われたけど、そっちはそんなに困ってないからどうでもいい。高血圧は大腸の手術の時に薬をもらったけどあまり飲まなかったのが悪かったんやろうね。まあこれから薬を続けないといけないのか悩んでいるけど、ただ、その神経内科の先生が、『パーキンソンの可能性がある』っていうのよ。どう思う?」

あ、ここが電話してきた目的か!

「姉ちゃん、あなた相変わらず自己管理がいい加減やけど、こんな軽い症状で済んで幸運やと思ってこれからはきちんと薬飲み続けた方が身のためやで」と心の中でつぶやく。大腸がんの治療をして今年で5年目だからやっと一つの区切りだと思ったのに・・・お互い、何でも有りの年頃やもんね。気をつけなきゃよ(まあ、それはわたし自身にも云えることですが)。そんなことを忠告しようとしたら、「あ、ゴメンね急に電話して長話して。今日はこれで切るわ。メールどうもありがとう!」と一方的に話した後、「もし、何か用事があるときは電話して!わたしメールはしないから」と云い残して切ってしまいました。相変わらず忙(せわ)しないねえ(笑) 別に話すことなんかないからメールにしたんやないかい。だって、電話したら、「どうしたん?何かあったん?」とアタフタするやないか、いつも。

とにかく、お大事に。

 

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ハナミズキ

今年も、わが家の庭にハナミズキの花が一気に咲きました。ショッキングピンクの艶やかな特徴的な花びらがとてもキレイで華やかです。

この花が咲くと、5年前のことを思い出してしまいます。あの日、いつものように夕方のワン散歩を夫婦でして、畑に咲き誇ったレンゲソウを写真に収めてから帰ってきたら庭のハナミズキも花びらが開き始めていました。「おー今から一気に広がったらキレイだろうね」と暢気に夫婦で見上げましたが、その日の夜、あの熊本地震(前震)が襲いました。その後に続く本震からの避難生活とさらに豪雨の襲来・・・生きた心地のしない日々の中で生き延びるのに精一杯だったあの頃、ふと気付いたらハナミズキの木はすっかり葉っぱだけになっていました。

わが家をここに建てたときに植えた木ですから、もうかれこれ25年。毎年この季節に咲いていたのでしょうが、実はこのときまでこの木の花をマジマジと眺めたことはありませんでした。この木が「ハナミズキ」という名前だということも忘れていました。そうです。わが家の春に圧倒的な花を咲かせるハナミズキの存在を本当に意識し始めたのは、5年前からなのです。

この花は春の訪れを表す花。春は、出会いと別れの季節。きっとこの艶やかな花を見ると人それぞれの思い出が湧いてくることでしょう。

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新しいもの

先日、新しい財布を買いました(今年の私は『八方塞がり』で新しいことをしてはいけないと云われているので妻に買ってもらいました)。新しいモノに換えて困るのは、使い勝手が完全に変わってしまうこと。今まで使っていた財布も何年か前に買い換えたときになかなか慣れなくて苦労しました。

自分が使いやすいように工夫して仕様を決めているのにそれを根本から変えなければいけないとき、「なんて使いにくいんだ!」と思ってしまいます。これは通勤カバンなどのプライベートの品でもそうだし、職場のコンピューターシステムの仕様変更などの大きな品でもそう。そして、結局「前の方が良かった」と思うわけです。よほどその前に使っていたモノが使いにくかったのでなければ、おおむねそんな感じです。それを使い始めた頃には同じ不満を漏らしていたくせに、それをすべて棚に上げて云うのです。でも、愚痴を云いながらもまた新しい工夫をするうちに慣れていく。今では、職場の新しいシステムも、毎日使うこの新しい財布も、もう長い間使い込んでいるかのようにしっくりと馴染んでしまっています。「あたらしい財布どう?」と妻に聞かれたら、迷わず「これ、なかなか良いよ」と答える今日この頃であります。

そういえば、昨年妻が買ってきてくれた玄関の靴べら。前に使っていたのと比べると大きすぎて仕舞うところがない。第一、今まで使っていたモノの行き場もない。「あなたが『靴べらがほしい』って云うから買ってきたんじゃない」「ボクは仕事先とか移動先で使えるように『携帯用のがほしい』って云ったじゃない!」などとちょっと揉めましたが、今では当たり前のように以前あったのとはまったく違う場所に鎮座しています。そして前から使っていた靴べらは職場のロッカーに落ち着いています。どっちも、ちょうどいい大きさで納まっています。良きかな良きかな。

 

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肝に銘じましょう

きっと、公務員の皆さんにとって、恒例行事は是が非でもやりたい(やるべきである)という風土なのでありましょう。大宴会は論外だとして、時短営業を要請しているときにあえて21時以降の送別会を断行する勇気たるや、大した物ですね。おそらく全国の公務員(だけでもないか)の皆さんの中には同じようなことをやらかして、今、バレやしないかと気が気でない輩がたくさんいることでしょう。たぶん、今回問題になっているのは周りにいた一般客とか店の従業員とかからの通報(チクリ)で判明したものでしょうから(というか、堂々と身分明かしながら大声で挨拶するなんて・・・「悪いことなんかしていない」という自負なのでしょうか)、”こっそり”やっている人たちはもっとたくさんいるはずですね。

それにしても、世間はかなり緩いんですね。厳しい指示を出しているお膝元があんななんですから。待て待て、うちの施設も他山の石的な気持ちで眺めているわけにはいかないのかもしれないぞ。「自分がちゃんとやっていれば皆が同じような志で頑張っているに違いない」と思ってはいけないということか。でも、うちの連中はちゃんとやっていると思うけどな。

●歓迎会送別会や花見は、普段から一緒にいる人と少人数で。
●会食は十分な感染防止対策を行った上で4人まで。深夜に及ぶ飲食をともなう会合は参加禁止。
●接待をともなう飲食店、並びに換気などの感染対策が不十分の飲食店へは立ち入り禁止。

これが、うちの職場のHPに掲げられている現時点でのプライベート活動面での注意事項です。「医療人としての自覚を持て」とのコトバも。でも、おそらくどの職場でもこの程度のスローガンは明示しているはず・・・それが有名無実だから、もう春だというのに都会の感染者が一向に減少しないのでしょうかね。

今日から職場には多くのフレッシャーズが入職しました。オリエンテーションのためにスーツを着ている若人ばかりが病院の中を闊歩しています。今の時期、外からの息吹は新鮮で嬉しい反面、気を引き締めておかないと無症候ウイルス持ってきているかもしれない・・・こんなこと考えなければならない世の中が早く落ち着きますように。

そういえば、昨年配属になったスタッフの方々、正直なところ本当の顔を知りません。プライベートやそれこそ歓迎会や親睦会の類いが一切中止なって、マスクを外した顔をみる機会が皆無。異常だけれど、でも、今はそれが当たり前なのです。おわかりでしょうか、一部の不届き者の公務員の皆様方。

 

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今から掃除するつもりなの?

妻をディスってばかりでごめんなさい。

掃除大好き人間のわたしは、毎週末に家の掃除をします。働き方改革で有給休暇や振替休日も多いので、その都度掃除機を出したりすることもあります(できるだけやらないようにガマンしていますが、他にすることがないと、つい)。

そんな時に「え?今から掃除するつもりなの? そんなに汚れてないよ?」と妻に云われることがあります。「掃除は、汚れてからするもの」という概念と「掃除は、汚れないためにやるもの」という概念のぶつかり合いは、いつも平行線であります。だから、わが家の掃除は、基本的には彼女が外出している時か仕事に没頭している時を狙って行います。

自ら認める”片付けが苦手”な妻。何度片付けても食卓の片隅に積み上げられていくわらわらを眺めながら、「使ったモノをその都度元に戻す」それだけのことでいいのに、なぜそれができないのだろう?と思ってしまうわたし。きっと、わたしと同じ性格の人はみんな同じことを思っていることでしょう。でも、できないものはできない。『片付け上手の簡単片付け術』なるテレビ番組の類いを見る度に思う・・・簡単だろうがなんだろうが、片付けが苦手な人は片付けたいけど要領が悪いのではなく、”片付ける”という概念が根本的に違うから、きっと片付けられないと思う(云われたとおりにすればできるけど、習慣にはできないのだ)。なぜかというと、そうすることでインセンティブが得られるとは思えないからです。掃除にしろ、片付けにしろ、自分は別に困らないわけだし、仕事などの共同生活の場では周りに迷惑かけるからやむを得ずするわけで、それをすることで褒められるとか一目置かれるとか代わりに何かをしてもらえるとか、そんなメリットがないならしないはず。

そもそも”掃除好き・片付け好き”の輩(わたしを含めて)には到底理解できないことなのであります。でも、彼らは決して”なまけもの”とか”だらしない”とかではないということは、理解しましょう。

 

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時間の考え方

どうしても約束の時間に遅れたりギリギリだったりする人がいます。逆に、早々にやってくる人もいます。おそらく、わが家では前者が妻で後者がわたしです。だから、両者で30分以上差が出たりします。

妻を見ていると、ちょっとしたこと(たとえば「洗濯物を畳む」など)をするのに見込み時間を0に考えているように見えます。わたしはその行動用に5分の見積りをしますが、「そんなもん、ちょちょっとやればすぐ済むことなんだから、5分もかからないでしょ」と鼻で笑われます。実際、要領の悪い不器用なわたしと違って、彼女はちょちょっときれいに畳んで仕舞い終わることができます。一事が万事そんな感じです。でも、1つに3分かかったとしても、それが10項目集まったら30分なのでありますよ。0×100だけど、3×1030分なのですよ。そこんとこ考えてほしいのだけど、くどくど注意していると「煩わしい!」と叱られるので黙っているのですよ。

もっとも、わたしは行動の最小単位が5分計算だから、5×1050分・・・ほらね、20分の差なんて簡単にできるでしょ。どっちもどっちなんですよね、分かっているのだけれど、各々それが性分ですから、今更変えられないし、変えたところで居心地が悪い。だから、「これでいいのだ」と思うことにしています。

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