『予備群』
定例の機関誌が今回も発行されましたので、連載コラムを転載します。
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『予備群』
予防医療に従事して約25年、医者人生の半分以上を予防の世界で生きてきた私にとって、臨床医時代からずっと気になっていたのが『予備群』という単語です。だれがいつ言い始めたのか存じませんが、この見るからに日本人らしい、やさしくオブラートで包んでこっそり行間を読ませようとする曖昧な単語は、これだけの年月を経てもその真意をほとんど当事者に伝えられないまま存在しているように思います。
『予備群』って何だと考えていますか? 糖尿病予備群、高血圧予備群・・・言う側は「今しっかり注意しないととんでもないことが起きるぞ」という厳しい警告の表現なのに、言われる側は「まだ大丈夫なのだな」と安心する、そんな悪魔の単語。たとえば『糖尿病予備群(境界型糖尿病)』の時期はバリバリの糖尿病になってからよりもはるかに加速度を増して動脈硬化を進行させる時期ですし、『高血圧予備群(正常高値血圧)』は心臓病発症リスクが2倍以上に撥ね上がる時期だと言われています。そんな危険な時期なのに薬すらもらえないのです。「まだ薬が要らない」のではなく、「危険なのに薬ももらえず、自分の力で何とかするしかない」という一番やっかいで大変な時期。ここに意識の決定的なすれ違いが生じるのは、この単語を使う医療者の責任かもしれません。「今のままだと将来、命に関わるような大病を患うかもしれない」と脅しにもならない甘い忠告を聞いたことのある人は少なくないでしょうが、これが勘違いを招くのだと思います。危険性は「将来的に」ではなく「今すぐにでも」です。なのに、相手を不安にさせないように優しい言い回しで・・・その気遣いが裏目に出ているように思えてなりません。
この際、これから生命保険に入る場合を除いて、あえて「病気の定義なんかどうでもいい」と言い切ります。境目辺りで一喜一憂しても何の意味もありません。少なくとも生活習慣病の予備群については、病気の門の手前ではなく、すでに門をくぐって中に入っている状態だと認めましょう。そこでする治療(生活療法)は、自分の心意気だけが唯一無二の手段であり、だからこそ一番がんばれる時期だと思った方が健全ではありませんか。何の症状もないのに“病気”と言われても認めたくない気持ちは分かるけれど、早々に認めて生き方の意識を変えたら改善するのならその方がはるかに健康的で建設的。“病気である”ことが不健康なのではなくて、まだ“病気ではない”と言い張って生きることの方が間違いなく不健康だと思う次第であります。

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