日記・コラム・つぶやき

まだ食べられる

先日、突然我が家の冷凍庫が壊れました。妻が冷凍食品を山ほど入れているために、やむを得ずすぐに電器屋に走り、ほどほどの値段の型落ち冷蔵庫を買ってきました。想定外の出費でしたが、まあちょうど10年目、寿命だったと諦めることにしました。

冷蔵庫を入れ替えるにあたって、中の食材を取り出してみると、まあ出るわ出るわ。こんなに突っ込まれていたのかと呆れるほどに冷凍庫にも冷蔵庫にも古い食材が一杯。上から新しいモノを投げ込むからか、それとも好きなものを大事に隠したまま忘れていたのかは分かりませんが、すでに期限切れのモノがたくさんありました。

「そんなの捨てたら良いんじゃない」と云うと、 「いや、勿体ないよ。火を通したらまだ食べられそうなんだよ」と妻。 義母も同じ事を云うらしい。「食べられるのなら、食べたらいいんじゃないの?」と返事すると、 「あなたのお弁当に入れようかな」とか云う。 「いやいや、ボクは食べたいわけじゃないし。食べられるとしても、もともとボクが食べたくて仕舞っていたものでもないし・・・お義母さんが『火を通せば食べられるよ』と云うんだから、お義母さんにあげたらいいんじゃない」「だめよ、年寄りでアキレス腱まで痛めてる(アキレス腱を切って現在装具を付けています)んだから、もしお腹壊してトイレに行かなきゃ行けなくなったら大変でしょ」「ボクなら良いんかい!」 ・・・みたいな、漫画のような会話をしまして、結局、潔く捨ててもらうことに決着したわけです。今回まさぐったから出てきたモノは存在そのものを忘れていたモノばかりなのだから、そのまま記憶からも現実の冷蔵庫の中からも姿が消えたとしても何ら問題はないでしょう。

だいたい、みなさん、必ず云う。「まだ食べられるものを捨てたら勿体ないよ」と。でも、「じゃあげるよ」と云うと「わたしは別に欲しくはない」と拒否する。他人事は、無責任。自分はそんな無責任なことを云わないようにしようと誓った今回であります。

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将来の夢

小学校時代の還暦同窓会を開催する気運が急に高まり、今月末に開催されることになりました。わたしは中学から地元を離れたので、なんと半世紀ぶりに会う人ばかりです。そんな中、「卒業の時に文集を作ったよね」という話になり、その文集に『将来の夢』を書いたことを思い出しています。

わたしはたしか、『パイロットになる』と書いたはずです。「将来の夢とか特にないなあ。きっと普通のサラリーマンになると思うなあ」と云ったら、「男の子なんやからもっと大きな夢を持たんね! わたしは、パイロットになって世界中を飛び回る人になってほしいわ」と、母が云ったのです。だから、「将来の夢はパイロット」と書いたのです。子どもの頃からわたしは”超”が付くほどの高所恐怖症で、田舎の小さな川にかかった橋の上から下を見ることもできなかったというのに、です(笑) 

「高所恐怖症なんてなりたいという想いが強ければ鍛えて克服できるものよ」と母は豪快に笑い飛ばしましたが、その後も高所恐怖症はひどくなることはあっても軽くなることはありませんでした。最近は少し軽くなった気もしますが、これは歳を取って若干鈍感になったせいではないかと思います。飛行機の窓から下を見ても全然大丈夫になりましたが、阿蘇の山越えをしているときに眼下に広がる町並みが目に入った瞬間から眩暈と動悸に襲われて生きた心地がしません。崖側の目をつぶって前だけ注視して早くその場を通り過ぎるのが常であります。

あのとき、母の夢だった『パイロット』を自分の将来の夢として書いたわたしは、もちろんパイロットなどには到底なれず、あの時ココロにもないことを書いたのを少し後悔しています。まあそれでも、子どもの頃の夢なのだから、『ただのサラリーマン』と書くよりは良かったのかもしれません(結局今は広い意味でのサラリーマンですけれど)。

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休みをもてあます

本当に問題意識というものが最近一気に欠如し始めた私。考えること自体を放棄し始めているのに、「それで良いのか、自分?」という焦りがなくなってきているのであります。

昨日も月に一度の土曜完全稼働日。平日と同じ勤務をしました。時間外申告ではなくて振替休日で穴埋めしないといけません。そんなこんなで私の休日は極端に多くなりました(それと引き替えに給料は大幅ダウン。妻も仕事をやめたから、二人合わせると新人社会人1人の給料分くらい減っています)。今月末にも飛び石の5連休、年末年始には10連休、年度末にも6連休が待っています。

困った。することがない。「健康長寿の秘訣は食事や運動ではなくて、本をたくさん読んで好奇心に任せて自分の興味のあることをどんどんすることなんですってよ!」と先日の宴会の席で友人が語っていました。「そんなことは抗加齢医学会では10年も前から云ってきているわ!」と思いながら、当時は気にも留めなかったことが今はそれが重い命題。そうなのよ。これからどんどん時間だけが余り始めてくるのよ。定年退職後に自分のやりたいことをやり始めた人と、やりたいことが見つからずに何となくぼんやり日々を過ごす人の行く末は、火を見るより明らかなのですよ。「ボーッと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られそうだけれど、私、なんか明らかに後者になりそう。10年前にはやりたいことなんて一杯あったのに、今、何にも浮かばないよ。大好きな家の掃除や庭の草刈りを1日やったところで、もう2日目からすることなくなるからね。

やっぱり、好奇心の塊の妻のアシスタントを務めるのが得策かしら。でも、ワシ、不器用だからなあ・・・。

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やる気宣言

ちょっときついけど、少しやる気が持ち直してきているところ。 

毎年12月から3か月間頑張るまめ太郎トライアルや、来年3月末に中学還暦同窓会があるなどの目標点があることはあるのだけれど、そこまで待ってたらどんどんぐうたらになってしまう気がしてちょっと不安になってきました。そんなことを思っていたら、渡りに船で1ヶ月半後に小学校同窓会の話が降って湧いてきた。これもまた運命。このチャンスを活かしてみようかなという気になってきました。

「ずっと続けられないことをして成果が出ても意味がない」と言い訳して逃げていたけれど、別に1ヶ月限定メニューでもいいんじゃない? 成果云々より、目標持って頑張るモチベーションさえ再起させればいいのだから。

ということで、日々のやることチェックを始めます。
1.アルコール:マイオリジナル2単位まで(1単位は缶ビール1缶、日本酒徳利1本、焼酎コップ1杯)
2.21時以降の飲食しない
3.夕食後1時間はソファに座らない
4.病院内散歩2往復以上
5.夕方のワンの散歩(行けない日は自分だけで1時間ウオーク)
6.騎馬2分+弓歩10本+腹筋(少林拳メニュー)
7.体幹トレーニング+ストレッチ
8.22時~23時までに就寝(朝5時から散歩できるとベスト)
9.ベッドでスマホをいじらない

自分だけで決意するとすぐ自分で誤魔化すので、とりあえず公表してみる。あまり意味はないかもしれないけれど。

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恐るべしBCC

ある企業で、ひとりの若い従業員が複数の上司に対して社内のセクハラ・パワハラ絡みの告発文に近い内容のメールを出しました。当人は退社覚悟のようですが、内容が内容なだけに、当事者たちが対処に右往左往してざわついていることが想像できます。ところが、その、メールの内容を社内の第三者が知っているのです。なぜか? その従業員がメールを送信するときに、BCCを使って違う人にも送ったからです。BCC(Blind Carbon Copy)の相手は、CCと違って、送られた方には気づかれません。当事者たちは自分たちだけしか知らないこととして、自分たちの中だけで内密に処理したいかもしれないけれど、すでに違う人間がその事実を知っています。まあ、文書の存在自体を抹殺されないように意図的にそうしたのかもしれないし、そのいつも相談に乗ってもらっている第三者にも知ってもらいたかったから送ったのかもしれませが・・・とうことは、このメール、本当はBCCを使ってもっと大量に出回っている可能性も否定できません。

わたしは、自分宛くらいにしかBCCを使うことがないので、そんなこっそりメールを横流しするようなことはしたことがありませんが、今回のことを聞きながら、「恐ろしいなあ」と思いました。自分にだけ出されたメールだと思い込んでいたら、他のひとにも”情報共有”と称して送られているかもしれない。ビジネス文書ならともかく、プライベートな約束や意見が勝手に陰で広まっているかもしれないのです。

今回のように、こっそりばらまかれた爆弾はどんな結末になるのでしょうか。もっとも、勝手に爆弾を送られた第三者のスタッフが一番怖いのかもしれません。知らなくてもいいことを知ってしまって・・・。

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虹が見える!

先日の夕方、日課の愛犬の散歩をしていて、公園の前の交差点で信号待ちをしていました。お利口にお座りをして私の顔を眺める愛犬と時々目を合わせながら、目の前の信号を凝視していたら、一緒にいた妻が「わあ、きれいな虹が出てるよ!」と云って持ってきたカメラを構えていました。「え、虹? どこ?」と東の空に目をやると、たしかに大きくて太い虹がくっきりと出ていました。

あんなに大きくてはっきりとしているものなのに、妻に云われなかったら、絶対に気づかなかった・・・そのことにちょっと衝撃を受けました。別に物思いに耽っていたわけでもなければうつむいていたわけでもない。私は散歩中はできるだけ胸を張って前を向いて歩くように心がけています。なのに、全然気づかなかった。なんか、とても損をした(というか得をした)気持ちになりました。自分の人生の中で、すぐ横に存在しているのに自分の視界の中に入り込んでないために全く気づかずに通り過ぎてしまうことなんて、数え切れないほどあるのだろう。気づいていたら全く違う行動を起こして全く違う人生を送っていたかもしれない。今回、それを気づかせてくれたのは妻。逆のこともあるでしょう。そんなことを思うと、人生をひとりで歩んでいても得るものは限られていることに気づかされます。多くの仲間や家族や友人たちの中に一緒にいる方が、凝り固まった考え方や見方ではないものを得ることができるだろう。各人各様が皆同じ方向を一心不乱に向いていたのでは同じモノしか見えない。でも、各々があちこちよそ見しながらアンテナを張り巡らしていたら、全く違った目で全く違う情報を得ることができる。

そんなことを考えていたら、せっかくの虹だったのに願い事を祈るのを忘れました。

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アタマに浮かんだモノが逃げていく

先日、Eテレでお笑い芸人のピース又吉さんがMCをつとめる番組を見ていましたが、そこで彼が発した言葉がとても腑に落ちました。

「過去の事を思い浮かべながら文章をしたためるときはパソコンでワープロに打ち込んでも十分書くことができるのだけれど、アタマの中で湧き出てくる構想を追いかけながら記録するときにワープロを使っていると、とんどん取り残されていって結局最後まで記録できないままアタマから消えていくことがよくある。だからそういうときはメモ用紙に走り書きしたり、ペンで箇条書きして書き留めたりするしかない」というような内容でした。

これ、本当によくわかる。しかも歳を取るほどにひどくなる。「あ!」とひらめくことはよくあるし、内容を文章としてアタマにすらすら浮かべられるのに、その文章がどんどん走って逃げていく。その場でメモにしたためない限り跡形もなく走り去ってしまって、その後で思い出そうとしても何一つ思い出せないということ、わたしはよくあるのです。運転中だったりしてその場でメモできないときにはアタマの中で何度も反芻して覚えておこうとするのだけれど、そんな努力をしたことは覚えていても、何を覚えようとしたのかを断片すら思い出せないのであります。そういうことに前は凹んでいたけれど、いまは諦めています。脳細胞と一緒に刹那刹那に消えて無くなってしまったモノ・・・日に日に加速度を増して増えているようです。まあ、その刹那に「自分が躍り上がるようなすばらしい何かを思い浮かべたのだ」という事実を喜ぶことにしています。何も残らなくても、決してボーッとし生きていたんじゃないという意味で。

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ちっとも成長してないということか

この季節は、玄関のヒメコブシの落ち葉を掻くのが日課。晩秋の落ち葉ほどドサッとは散ってこないけれど毎日少しずついつまでも散ってきます。夏の落ち葉はそんなもの。

で、これを出勤前と出勤後に掃きながら毎年思うのです。こうやって律儀に掃いているからキレイを保てるけれど、わたしが毎日それをしていることなんて周りの家の人は誰ひとり知らないのだろう。散ったままの枯れ葉が道を塞いでいるのを見ている人はそれがキレイになったのを確認して「ああ、ちゃんと掃いたんだな」と思ってくれるだろうけれど、最初に汚かったことを知らない人は、わたしがどれだけ汗水垂らして掃いていたとしても、別に何も変わってないと思うだけだから。

誰も見てないところで善行やっても誰からも認めてはもらえないんだよね、とか愚痴る。でも、神様はいつも見ているのよ。誰も見ていないようで、ちゃんと誰かが見てくれているものよ。駐車場の向こう側のアパートの住人とか、近くの家の二階の窓からとか・・・。でも、善意は見返りを求めたら善意ではなくなるモノよ。なんてなことを考えていること自体、まだまだ人生の修行が足りんな。

そんなことを思い、書き記してみたモノの、いつか同じことを書いたような気がして検索してみたら、やっぱり3年前の夏に書いてあった(『夏の落ち葉』 )・・・還暦過ぎても、ちっとも成長してなかったことだけが確認できたわけだ。なんか、3年前より打算的な考え方が板についてきている気がしないでもない(笑)

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かがみ

最近、ゆるゆるのカラダになってしまったわたし。ちょっと小走りしても、「どぼん、どぼん」と音を立ててお腹が揺れております。

そんなわたしが、最近、「いいね」と思っているのが、かがみ。入院中の妻の付き添いで何度も新幹線に乗りましたが、新幹線ホームのトイレに入ると必ず姿見があります。我が家にも玄関に姿見があります。かがみの前を通る時、ちょっと構えるようになりました。昔は無防備に前を通っていましたが、今は違います。自分の目に飛び込んでくる自らの姿を虚像でもいいからできるだけかっこよくさせたい。だから、前を通る前にできるだけ胸を張ってお腹を引っ込めてちょっと顎を引いて、「これでよし!」という確認をしてから、歩き始めます。

これ、大事。自分の姿を客観的に目に映すことで自分が頑張れる。最近は、夜中にトイレに起きた時もトイレのかがみを前にちょっと胸を張って斜に構えて、「よし!」とか口に出してから用を足したりしているわたしです。それが、なにか?

かがみを見る度にかがみの前に立ってポーズを取る、というのはアンチエイジングのために絶対大事なこと。どんだけお腹を引っ込めても実態は変わりはしないことは分かっているけれど、姿勢を正してお腹に気合を入れれば何とかなることを確認して、「よし、頑張るぞ!」という気持ちになることが大切だと思っています。「ま、いい歳だし。しょうがないか」と思った時から老化は加速度を増すのであります。

まあ、「よし、まだ何とかなるな」と安堵して、グウタラな人生を送っていたら意味がありませんが・・・。

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やる気が落ちた

60歳になった途端、わたしの中で明らかに何かが変わった。職場の定年は数年前から65歳に引き上げられたから、基本的には何ら変わらない毎日を送っています。役職も給料も待遇も変わりません。

なのに、何かが違う。ひとことで云えば、『やる気』が落ちた。『やらなければいけない』という思いが湧いてこなくなった、と云った方が正解かもしれません。週末だけでなく、平日にも家では何もしない。夕食を済ませて、ワンの散歩を済ませて、ぬるめの風呂にゆっくり浸かって、スマホをいじる間に眠くなるので床につく毎日。スマホのToDoリスト(リマインダー)には遊びの予約しか書かれていない。予定表は有休と振休の日の確認ばかり。

そういう事にものすごい不安があったのに、特に気にならなくなりました。どこかで社会的にエキストラになった感覚に満たされてしまったのだと自己分析します。自己啓発のために、仕事上でちょっと疑問に思った事を検索して勉強して記憶しておく、なんてこと、もう必要ないと思ってしまうのです。依頼された講演も全部断るようにしたから、一層新しい知識の吸収は必須ではなくなりました。老化防止のために運動や食事や睡眠やなんて考えていた事も、急にどうでも良くなってきたし・・・。

同級生と酒を飲み交わしたりすると、還暦を超えて会社の経営トップとして日本を引っ張る立場になっていく人、還暦で定年退職したのをきっかけに新しい事業を手がけようとする人、新しい資格を取るために勉強を始めた人、今までやれなかった趣味を始めようという夢を語る人、などなど。みんな、偉いなあ。『悠々自適』というのは、わたしのようなやる気のない萎えオヤジのことではなく、きっと彼らのような生き方をいうのだろうな。

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