日記・コラム・つぶやき

年賀状

今年も、やっと年賀状を出し終えました。

昔は、12月に入ったら早々に書き始めて(書いた後に喪中のご挨拶が何枚も来たものです)、郵政省(今は・・・何でしたっけ)が決めた日までには確実に投函していました。それが、いつの間にか師走が師走らしくなくなり、仕事をしていたら知らないうちに勝手に年末がやってくるようになり、いつしか年賀状どころではなくなっていました。

それでも、「年賀状」という文化はとてもいいなと思います。簡単なメッセージしか書けませんが、1年に1回は一人ひとりの顔を思い浮かべながら何かを伝えようとするこの文化を大事にしたいと思います。一時、メールに替えたこともありますが、やっぱり年賀状に戻ってしまいました。遠い昔、年賀状にかこつけて大好きな女の子に何度も下書きをしたハガキを出したときのドキドキ感を、いまだに甘酸っぱい感覚として思い出せます。

ただ、本当の理想は、<元旦に、いただいた年賀状を読みながらその返事を書くこと>なのだと思います。「そうか、○○さんは去年転職したのか」とか「え~、お孫さんが出来たの?」とか、そんなことを思いながらそのお返しを書くのが、きっと返事をもらった相手も嬉しいだろうなと思うのです。普通は1年前の情報を元にしたハガキがクロスしますから妙にチグハグなやり取りになり、返事が1年後になるのですがその1年後にはほとんど覚えていなかったりして・・・。正月に来た相手からの返事を読んで「あ~そうだった!」と毎年思うのです。だから、お正月にお返事でタイムリーにコメントを書くのが一番理想なんだろうなと思う次第です。

もっとも、みんながそうしたら、結局だれも出さなくなることになりますが・・・。

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同じものばかり

本日、「やせればいいってもんじゃない!」が丸2年になりました。尊敬する鎌田實先生のブログ「日刊:鎌田實 なげださない」に倣(なら)って、根性で毎日更新してきましたが、よくもまあ続けられたものだと我ながら感心します。

内容に重複がないかをいつもバックナンバーから確認し、内容が似ているものや関連するモノはできるだけリンクをさせるように頑張ってきましたが、さすがに600~700件を過ぎた辺りから、良く分からなくなってきました。

ときどき最初から読み返してみたりするのですが、情けないことに、「こんなこと書いたっけ?」と、内容にまったく記憶がないモノも少なくありません。そして何か最近、前書いたモノと同じことを何度も繰り返しているような気がしてなりません。「それ前読んだぞ!」という内容をまことしやかに書いているかもしれませんが、ご容赦ください。

それと、昔に比べて内容がどんどん重く、どんどん長くなってきている気がします。これも気がかりなところです。ただの田舎オヤジの独り言(つぶやき)で始めたものなのに、少しずつ読んでいただく方が増えてきたためか、「医者としてちゃんとしたものを書かなければ」という気負いが含まれ始めてきたのではないかと反省するところです。

この勢いでは来年には1000件を越えます。さすがに全編を掲載するのが難しくなりました。この機会にココログ出版で本にでもしてみようかしらとも思い始めた今日この頃です。

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ラーメン屋

大分から熊本に帰る途中、ある古いラーメン屋の看板が目に入りました。それを眺めながら、何の関連もなく突然昔のことを思い出しました。

わたしが初めてラーメン屋に入ったのは高校生のころだったと思います。父はうどんが好きで、よくうどん屋には連れて行ってくれましたが、ラーメンはそれまでインスタントラーメンしか食べたことがなかったのです。母と2人で入ったその駅前のラーメン屋は狭くて薄暗く小汚いカウンター席しかありませんでした。あまり覇気のない、顔色の悪いお兄さんが切り盛りしていました。当時の大分には大分ラーメンというはっきりしたジャンルはなかった(今はあるのかしら?)と思われ、今でも熊本生まれの妻は「大分のラーメン屋には主張がない!」と云い切っています。あのとき、たしか「みそラーメン」か何かを注文したように思います。しばらく待って出されたラーメンを、「これが店で食う本当の『ラーメン』というものなんだなあ」と感慨深く眺めて、さあ食べよう!としたその瞬間、目の前のテーブルの上を大きなゴキブリがカサカサカサっと走り抜けていきました。ふと気付いたら足元には数匹のゴキブリが我が物顔で走っていました。店主よりよほど元気があるように思われました。

そのラーメンが美味しかったか不味かったなどはまったく覚えていません。ゴキブリを見てゲッソリしたとか食欲がなくなったとか、そんなことはなかったと思います。なぜなら、「ラーメン屋」というのはそういうところなんだろうな、と思ったから。

まあ始まりがそんなでしたから、今でもあまりラーメン屋に対する思い入れがないのは確かです。

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イルミネーション・ワールド

熊本のある企業が、広大な会社の土地にイルミネーションを施してキレイな光の世界を作り出していますが、そこに入場する車のために深刻な交通渋滞が起こり、毎日何度もテレビでお詫び放送を流しています。何度かその前の道路を車で通りましたが、毎年少しずつ盛大になっている気がします。あまりに間近に見えるので、運転していることを忘れてしまいそうです(接触事故が多いのも容易に理解できます)。素晴らしいエンターテイメントだと感心します。さすがにクリスマス・シーズンです。この企業だけでなく、飲食店の前や公園やクリニックやといろいろなところで暗闇の中に青い光が光り輝いています。夜の街を運転をしていると「心躍る」を通り過ぎてちょっと落ち着きません。

さらに目を見張るのが一般のご家庭の家のデコレーションです。バブルの頃ならともかく、こんなデフレの年ですら全く手は抜かれていません。正直なところ、「偉いなあ」と思います。人に注目されて、人に喜んでもらえるのが楽しいからやっているのでしょうけれど、わたしにはどうしても真似できません。なぜなら、家の中にいる自分からはほとんど何も見えないからです。昼間はただの豆電球ですし、夜になったら寒くて部屋の窓を開けたりしないし・・・。自分が楽しめないし、さほど恩恵のなさそうなものに力を注げないのは、私のこころが狭いからでしょうかしら。

まあとにかく、クリスマスシーズンの今は、人ん家のきれいなイルミネーションを巡りながら幻想の世界を楽しませていただいています。それにしても、どこも青い色ばかりになりました。良く見ると本当に不思議な色です。昔は寒い色の代表だったんですが・・・LEDの発明は数年のうちに世の中の「色」に対する感性を変えてしまった感があります。

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電話連絡

先週金曜日に、不在連絡票が郵便受けに入っていました。

ある運送業者がお歳暮を持ってきてくれたようですが、生憎夫婦ともに不在していたのです。帰って来てから、その連絡票に書いてある電話番号に連絡をしました。

「土曜の午後2時以降ならおります。ただ、夕方はまた出なければなりませんので夕方になる前にはお願いします。」

土曜日は午後2時から家で待ちましたが結局4時になっても誰もきません。そろそろ出かける時間が近づいてきたので、もう一度運送業者に電話しましたら、「今からでも大丈夫ですよ」とのことで、15分後には無事に届きました。受け取った後、その包み紙を見てみたら「午後2時からいつでもOK」と書かれていました。・・・あれ?「夕方は・・・」以降の伝言はどこに行ったのかしら?ちょっと不愉快になりました。

先日、ある商品をインターネットで購入しました。お届け時刻を月曜の午前中に指定していたのですが急遽都合が悪くなったので、前日に担当の運送業者(前述の業者とは違うところ)に電話をして、時間変更(月曜の夜)をお願いしました。・・・ところが月曜の午前中、運送業者からメールが配信されました・・・「今お届けしましたが、不在でしたので一旦持ち帰ります」・・・おいおい、昨日わざわざこっちから電話したのは、どうなったのよ?夕方に変更して承諾をしたんじゃないんかい?ついため息が出ました。

年の瀬の慌しい毎日です。こんな行き違いは普通にあってるんでしょう。でも、やっぱりプロなんだから、こんな時期にこんなトラブルが起きないような自浄作業をきちんとすることが信用につながる気がします。わたしからクレームを出してないので、きっと相手は気付いていないでしょう。「クレームがないからちゃんとやっている」と思い込んでいるのはうちの病院だけではないでしょう。件(くだん)の運送業者さんたちはそうなってほしくないなあ、とちょっと思った次第です。

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さりげないエスコート

延び延びになっていた職場の広報誌の最新号がやっと発行されたようですので、いつものようにわたしのコラムを転載します。

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先日、学会のために上京しました。電車に乗っていたらJR新橋駅のホームに白い杖を持った目の不自由な女性が佇んでいました。先頭に並んで乗り込もうとしたひとりのお嬢さんが、それに気付いて声を掛けました。彼女はさりげなくその女性の手を引いて一緒に電車に乗り込みました。格好いいなと思いました。さらに有楽町駅に着く少し前に、今度はまったく別の若い男性が声を掛けました。「席が空きましたけど、座りませんか?」・・・声を掛けながら、そっとエスコートします。ことばに恩着せがましさがないのがいいなと思いました。都会では個人主義で他人に干渉しない人が多いと聞きますが、一方でこういう心遣いが日常生活の中でさりげなくできる人もたくさんいるのだということを実感しました。彼らは本当に輝いて見えました。

ある研修会で「ペーシング」という会話の方法を教わりました。これはつまり「相手のペースに合わせる」ということです。同じ視線で、同じ声のトーンと大きさと速さで、あるいは同じ雰囲気で・・・できるだけ相手のそれに合わせて調和させると、相手の心も開きやすくなって会話がスムーズになるというのです。「いつでもゆっくり落ち着いて対応すればよい」というのでは、例えばもし相手が急いで慌てているときならば苛立たせてしまうでしょう。そんな雰囲気を感じ取るためのスキルが「ペーシング」です。私も仕事柄、そういうスキルをいろいろ学んで実践しようと努力しているわけですが、あの電車の若者たちの自然な立ち振る舞いをみてしまうと、何かまったく次元の違うものを感じてしまいます。彼らのそれは仕事でもスキルでもありませんし、だれかに自分を評価してもらうための行動でもありません。スキルとしての対応術を体得することも大事ですが、人と付き合う上で一番の理想はやはり彼らのようなさりげない優しさが自然に出せる人間になれることでしょう。彼らの優しさはどうやって身に付いたのだろう?幼少時のしつけや環境だろうか?それとも職場や仲間の影響だろうか?・・・そんなことを想いながら、私は目的の駅で電車を降りました。

私たちの職場にも多くの若いスタッフがいます。みんながあの若者たちのようになれたら素晴らしいなと思います。初めは仕事のための「スキル」でも、それを繰り返すうちに真のエスコートの心が生まれてくるかもしれません。彼らのような人に出会う。「格好いいな」と思う。「次は自分もやってみたいな」と思う。そうやって優しい空気が溢れるといいな・・・とても柔らかい心になれた旅でした。

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読まない妻

「おもしろい本を見つけたんだ!」

そう云って、思い立ったように妻が本を買って帰ることがあります。その本の薀蓄をひとしきり語り、パラパラっとしばらく読み耽るのですが、結局そのまま食卓の上に置き去りにされるのが常です。基本的に本屋である程度読んでいたからでしょうか。それともパラパラ読みでほとんど理解できるのでしょうか。

数日後、わたしはその本を食卓からそっととなりの小さなテーブルに移します。そしてまた数日後に二階の書棚に移しますが、彼女はまったく気付きません。たぶん忘れているのだと思います。というか、たぶんもう興味がないのでしょう。そういう姿は、「買ったのにまだ全部読んでない」と強迫観念に苛(さいな)まれてしまうわたしとは対照的で、きっと彼女の方がずっと健全な生き方なのだろうなと思います。

彼女が悩んでいること(ダイエットとか)に、「いいことを書いてある本があるよ」とそのときに読んでいた本を渡そうとすると、「内容だけ口で教えて!」と突き返されます。読むのが面倒くさいのでしょう。でもわたしの拙(つたな)い説明では、結局「なんかそれ、納得できない!」と切り捨てます。・・・これは、勿体ない!と思わずにはおれませんが、まあ読まないものは読まないな、と思ってあきらめることにしています。

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ね。

「こちらにしばらくおかけくださいね。」「お待たせしていますね。申し訳ありませんね。」「次は○○番の部屋に行ってくださいね。」・・・うちの職場のスタッフが仕事中に受診者さんに話しているのを聞きながら・・・やっぱり、おかしい!と思ってしまいます。

「お座りください。」「お待たせしています。申し訳ありません。」・・・これで十分です。というよりこっちが本当の使い方で、わざわざ礼儀正しくていねい語を使っておきながら、最後に「ね」をつけてしまったら、その途端にタメ口になってしまいます。「ね」ひとつで、フォーマルがカジュアルに変身してしまいます。せっかくタキシードを着たのにスニーカーを履いてしまっています。よく最近は自分のことに対しても「~しますね。」という云い方をするのを聞きます。どうも、話す側は「ね」をていねい語だと勘違いして、「ね」を付けることでよりていねいで柔らかい話し方にしようとしているのではないかと思うのです。

ことば使いは常に進化(ではなくて「変化」ですね)します。場の多くの人が、この「ね」に違和感を感じないのであればやむを得ませんが・・・でも、やっぱり変だよ!と思う偏屈オヤジなのであります。

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良く分からん

我が家にある某銀行の貯金通帳が「Web通帳」とやらに変わりました。大して入っているわけではないのですが、都市銀行の通帳なので熊本支店に行くこと自体が至難の業なのです。「『そんな人こそこのWeb通帳が便利なのです』って云われたからそうしたよ」と、ある日わたしが仕事から帰ってきたら妻が事もなげにそう云いました。「近いうちに詳しい書類が送られてくるから、それを読んだら簡単にわかるんだって」だそう。

で、その書類が先日送られてきました。「ポイントバック/残高別金利型普通預金(通帳不発行型)をお申し込みのお客さまへ」と書いておりまして、何だか一杯文字が書き並べられておりました。ところどころに下線が引かれておりますので、きっとそこは重要なのでしょう。でも途中で読むのを止めました。書いてあることがチンプンカンプンなのです。字は決して小さくありません。金に関わる規約・規定なので省略や通称が使えず固い言い回しではありますが、きちんと内容を整理して箇条書きにしてあります。下線だけでなく、枠でくくったりしていろいろと工夫しているようです。でも、用語を含めて、何を云いたいのかよく理解できません。何が強調されて何が重要なのか?きっとちょっと詳しい人が読んだら簡単にわかることなのでしょうけれど・・・素人のわたしには、誰かが横でポイントだけ具体的に説明してくれないとわかりませんよ。、

わたしは同じようなものを見たことがあります。それは・・・うちの病院のある施設の使用定款です。小さくない文字、箇条書き、固い言い回し、重要ポイントの下線・・・あの定款もきっと普通の人にはわかりにくいことが書き並べられているんだろうかなあ。

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自己紹介

「おつかれさまでした。わたしは○○と申します。どうぞよろしくお願いします。」

健診の結果を説明するとき、部屋にお呼びした受診者の方にまず自己紹介をします。「結果説明や保健相談など、受診者と初めて向かい合うときにはまず自己紹介をしてください。お互い初対面なのですから、それが社会の常識です。」・・・研修会などに行くと必ずそう云われていましたが、実はつい最近までわたしは自己紹介をしませんでした。 ・・・入院患者さんの主治医になったときに最初にあいさつするという経験はありますが、外来ではいつも相手がわたしを指名して来たわけですし、今でも部屋の前には写真付きの名札がでっかく掲げられているのだから・・・「あまり自己紹介の経験がないから」というより、「気恥ずかしいから」が一番の理由だったように思います。

ある事情で、「意識的に自己紹介をしましょう」ということになったので、勇気を出して自己紹介をしてみました。すると、一瞬にして相手の表情が変わったのがわかりました。初めてわたしの目を見、名札を確認し、そして会釈を返してくれた顔はにこやかでした。もっと戸惑うのかと思っていたので内心驚き、そしてホッとしました。この瞬間、2人のニンゲンが初めて同じ空気の中で互いに向かい合ったことを実感しました。相手にわたしの話を聞こうとする空気ができたことがすぐにわかりました。とても良い感じで話が進みました。

まだちょっと気恥ずかしい気持ちをぬぐえませんが、でも今はスムーズに自己紹介できるようになりました。いかに互いのこころを開かし合うことが素晴らしいことかを実感しています。

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