日記・コラム・つぶやき

雨音

夕暮れの湖畔の道を散歩する。猛暑の夏が過ぎて、陽が落ちるとしっかり秋らしい。

歩いていたら雨がパラパラと降ってきた。疲れていたからゆっくり歩こうと思っていたけれど、傘を持っていないので、かえって早足になる。まあ大した雨ではないので、そう焦ってはいないのだけれど、ちょっとだけ走ってみたりなんかする。そうしていると、公園の中に木立ちが密集する場所があったので、雨を避けるためにちょっと木陰に入ってみた。そしたら、雨音が激しく響き始めた。雨脚が強くなったのではないようだ。広い公園の小径を歩いている間には聞こえなかった雨音が、木々の葉に当たって響いて聞こえるのだ。この雨は、意外に強いのだということを、その時初めて知った。

こういうことって、実は世間にはたくさんある。自分は大したことではないと思っていたのに、実は世間では大騒動になっていたり、あるいは逆に、実は大したことではないのに世間が騒ぐので一緒になってココロを騒がせてみたり・・・この世のすべてのモノが実は主観的であり、相対的なものだということを思い知らされた気がした。

また一歩、悟りの方向に歩を進めた気がした。

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運動をしない理由

昨日、ワンの散歩の後に小一時間、本当に久しぶりに一人で散歩をしました。ワンが工事の音を怖がって近付かなくなった公園の池のほとりを、日暮れ時に歩きながら、1年前まではここを毎日歩くのが日課だったなあ、などと思い返しながら。でも、正直、きつかった。途中から雨も降り出して、ここまで来たことを密かに後悔しました。

人間にとって、「運動をする」ということは、簡単なようで意外に大変なことです。もともと「人間には運動欲はない」から、しないで済むなら絶対にしない。言い訳が思いつける限り絶対にしない。それが”運動”であり、それが”人間”なのであります。

などと、エラそうにその理論を逆手にとって、「しょうがないもんね」とばかりに運動しなくなっていました。1年前に活動量計を抱えていた頃は毎日意地でも10000歩歩きたくて、職場の病院を用もないのに隣りの棟まで日に2回も散歩しに行ったりしていたのです。なのに、たしかに、今は超面倒くさい。「しなきゃな」という気持ちにもならなくなって・・・診察室のある4階までの階段はさすがに毎日使っていますが、それ以上「ムダに動く」なんてことしたくない。全然そんな気にならないんだもの、だってほら、人間には運動欲という欲は存在しないのだから。

”人間には運動欲という欲はない。ただし、動かないと退化する。面倒くさくなった瞬間から年寄りになる” 

そんなこと、百も承知なんだがなぁ。

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アドバイスはどっちが妥当?

人間ドックの結果を説明していると、コトバを選ぶのに悩むことがたくさんあります。

更年期を迎えて、女性ホルモンが動き始めた妙齢の女性。「これからいろんなことが起きてくるお年頃だと覚悟しましょう」と云ったら、神妙な顔をして「はい」と答えてくれましたが・・・。「そんなことには負けずに頑張りましょう。『もういい歳だし、こんなもんやろ』と思った瞬間から歳をとり始めますよ」というべきか、あるいは、「自分の生き方が悪いのではなく、そういう時が来たのだから、暗くなったり抗ったりしようとせず、うまく受け入れましょう」というべきか、と悩むことが多くなったわたし・・・どちらのアドバイスの仕方が、良いのだろうか? 『アンチエイジング』とは、どちらのことを云うのだろうか?と。

「カラダの中にエネルギーが余っているのだから、食べなくても生きていけます。無理して食べないようにしましょう」というか、「食事は理屈ではありません。キライなものは食べずに大好きなものだけをしっかり味わって食べましょう」というか・・・脂肪肝や糖尿病の高齢者にはどちらのアドバイスが妥当なのだろうか?

筋肉は破壊させたものが再生するときに大きくなるのだから、筋トレは限界を越えてしないと意味がありませんが、やりすぎると筋肉はただただ衰えるだけ・・・その理屈を、頑張りたがる高齢者に指導するには、何と云ったらいいのか?

相手にもよるのでしょうが・・・。

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診察室はおもしろい(2)

くだんのカッコウつけ坊やを診察した日、もうひとり印象に残った人がいました。

それは地元の老舗デパートで働く男性。わたしより5歳ほど若い彼は、診察室に入って来るなりどこか上から目線。身のこなしは上品ではあるけれど、「よろしくお願いします」と云ったら、「よろしく!」と返され、「診察をしたいので前を開けてください」と云ったら、不機嫌そうな顔で一呼吸おいて、めんどくさそうに紐を解きはじめました。

別に、”横柄な口の利き方”というほどではないのですが、明らかに「おれはお客様なんだぞ」という空気が湧き出ています。職場では役職のあるお偉いさんの部類なんだろうなと思います。でも、わたしは彼の名前を見て、この人が以前我が家が外商に入っていた頃の担当者のひとりだったことを知っています。あまり利用しないし、家に来るときはたまたま妻が居るときしか会わないだろうから、彼は気付いてもいないのだろうけれど、わたしが彼の名前を憶えているのは、「デパートで宝石特売の企画があっているらしくて、今日来た外商担当者が『奥さま、ひとつお願いしますよ。ご主人に時計なんかもどうですか?』とすごいしつこかったのよ」といって妻が指し出した名刺に書かれていた名前だったからです。

客商売しているから自分が逆の立場になったら仕返しのように上からの態度を取ってみたいのかもしれないし、元々お客さま相手のときとそうでない相手のときとで態度を使い分ける人なのかもしれない。ただ、地方の小さなコミュニティの中で生活していると、わたしのように、担当者が逆の立場で相対することはよくありますし、プライベートの姿をどこからみられているかわかりません。彼の姿を見ながら、自分も注意しなきゃな、と思いました。

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災害報道

台風18号のためにこの三連休の予定が散々な方も多いでしょう。熊本は直撃コースの候補だったので、わたしも一泊の大分行きを断念して自宅で静かにすることにしました。1時間ごとに気象庁の台風情報を確認し、いつ来るのかと固唾を飲んで見守っています。

そんな中、NHK以外のTV放送は決まって沖縄や宮古島の激しかった嵐の画像を出し、一番激しい暴風雨が襲ったらどんなにひどいかの実験をし、こんなのが来るんだから早く避難しろ!と煽る。まあ、用心するに越したことはないし、最近は未曽有の被害が出るから、やっていることは分かるのだけれど、当事者であるわたしたちが見ていてもちょっとやり過ぎ感を感じます。そして、正直、過去の被災の報道はどうでもいい(現地の被災者には申し訳ないが)。今直面しているわたしたちの知りたいことは、今からの我が家の周りの情報であって、大雑把な情報は要らないのですし、明らかに他人事の野次馬的報道を神妙な顔で行うのは、違うんじゃないかなと思う・・・そんな感覚が、年々強くなってきます。

先日のJアラート、これから何度も聞かされると思うと憂鬱ですが、あれも、「通り過ぎて着水した」ことが確認されたら、あとはNHKだけの報道に切り替えるという取り決めにしてもらえないでしょうか。「危険性がほとんどなくなった」と分かったら、突然軍事評論家や大学教授に電話でコメントを求めるのを我先にと各局が始めると、急にうんざりします。知りたいのは、軍事評論家のマニアックな理論を嬉々として語るのを聞くことではなく、もう動いていいのか、まだ何を注意するのかの情報提供だけで十分ではあるまいか。

未曽有の災害が起きれば起きるほど、報道に求めたいことは他局を出し抜いて三面記事的な不安感の煽り方をするのではなく、目の前に直面している当事者に特化した具体的な情報であります。陳腐で浅はかなディレクターの感性では絶対に対処できません。報道関係者はもっと日頃から災害に対する本当の重要性を深く勉強して、遠くで他人の不幸を観たがっている人を食いつかせる陳腐な番組作りではないものを見せてほしいと思います。

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診察室はおもしろい(1)

健診や人間ドックでは原則として内科診察が必須です。「あんなもん、有名無実だからやめた方がいい」という医者も多々おりますが、何のためにしているのかは以前ここでも書いたことがあるのでご参考あれ。そのポイントを押さえることなく、「義務だから面倒臭いのに形だけしている」なんて人はやらない方がいい。今や、診察時に見落とした病気(甲状腺腫大やリンパ節腫大や弁膜症など)で大事に至ったら、訴えられるかもしれない時代ですから。

そんな診察を毎日やっていますが、高々数分の密室の付き合いの中、いろんな人がいて、意外におもしろい。人間ドック受診者よりも一般健診受診者の方がおもしろい。

某建設会社の若い社員。何か気に入らないことがあったのだろう。名前を何度か読んだら、無愛想な上に、わざとらしくゆっくりとふてぶてしく歩いてくる。昔なら、「何という態度だ!」と頭にくるか、「何をしでかすかわからない」と緊張してしまうのだけれど、わたしも歳を取りました。単に、その姿が滑稽でおかしい・・・いい歳して、駄々っ子みたい(笑) この会社の社員はもう1人来ていて、こっちもやはり憮然とした態度で診察室に入ってきたから、会社として何かトラブルがあったのかもしれません。でも、少なくともその人は診察中は無愛想ながらきちんと受け答えできていたから「社会人(大人)だな」と感じました。それに対してくだんの彼は、挨拶しても無視。聞いてもボソっと最低限。まあ本当にお子ちゃまでした。

そんなカッコつけてるボクちゃんを診察しながら、とてもおかしくて笑いを堪えるのに必死。こんなお子ちゃまに何かの弾みで別のお子ちゃまが相対すると、「なんじゃこら!」ってなるんだろうな。ちょうど、今の某隣国のお子ちゃまと某大国のお子ちゃまのケンカみたいなもので(笑)

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ヒトのフリみて

運転時に思った事を、この機会にもうひとつ書いてみます。

車載カメラを搭載してから、独り言をできるだけ慎むようにしていたわたしだけれど、いつの間にか慣れっこになってきて、いつの間にか思わずグチってしまうようになった今日この頃。

やはり一番多いのは、
「あ、あぶねえなぁ!」
「おいおい、そこで入ってくるか?」
みたいなつぶやき。

信号機が全赤どころかすでにこっちが青になっているのに交差点に入ってくる右折車両。確信犯もいいところ。あるいは自分の直前の車、信号機が黄色になっているのを承知の上でかなり手前から加速度を増して突っ込む気満々。当然、交差点に入る頃には完全に赤。

「ばっかじゃないと~」とか最後につぶやいて〆。事故が起きないでよかったなあと思う(突っ込んでいくバカはどうなってもいいけど、巻き添え食ったかもしれない相手の車両のこと、あるいは目の前で大事故になったら流石に無視して通り過ぎるわけにはいかない職業である自分。そんなことにまで思いを巡らすわけであります)。

と、その日の夕方。いつも混んでいる幹線道路の右折車線。時差式信号機だからこのタイミングなら行けるなと思っていたら、直進する対向車が赤になっても突っ込んでくるものだから先頭車が躊躇。おかげで想像以上に流れない。「げ、オレ、取り残されるじゃん」と思った瞬間、アクセルに足が。黄色から赤に変わっているのに前に習えとばかりに交差点に突っ込むわたし。

信号待ちの先頭車両の運転手が睨んでいるのが雰囲気でわかるので、目線を合わせないようにしてさらなる加速。もしや、睨んでいる運転手の顔をそっと覗き見たら、その顔は朝のわたし自身だったりして。あーこわっ。

 

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火に油?

昨日、もうひとつのブログでグチった”期限切れ惣菜”について、続きをこっちに。

どうせ『うっかりミス』か何かなのだから、これはもうどうでも良い。いつまでも文句云っても怒っても、なんの得にもならない。そう思うから、たとえ相手が反省すらしていなかったとしても、全然気にせず心穏やかでいられるのだと思います。ただ、自分としてそういうときに思うことは、自分たちの仕事ではちゃんとできているのだろうか?という自戒の念です。

トラブルは、起きた時の初動が大事だけれど、実はそのことよりもその次の対応が重要なのだといつも教わってきましたし、自分もそう思います。今回の妻の電話は苦情ではなく単なる注意でしたが、それがクレームであっても、当事者は最初に対応した人にほとんど吐き出すことによって徐々に冷静さを取り戻します。その頃になると、「これ以上云ってもしょうがないな」と思うポイントが当事者自身でわかるものです。だから、本来ここで終結するものなのに、話を複雑に捻れさせるのは、次に対応した人の対応の拙さでしょう。あれだけ切々と苦情を話して「はいはいごもっとも」と相槌を打った人が、対応のために担当者にバトンタッチする、そのやり方が拙いと今回みたいなパターンになります。お役所に行ったり、メーカーに問い合わせたりしたときによくあるのは、「担当者に繋ぎますから」と云われて待っていたら担当者らしき人が出てきて「はい、なんでしょうか?」と切り出すやつ。なーんも伝言してないか、簡単な引き継ぎしかしてないから、「なんで、おまえにまた一から話さなきゃならんのか!」と、一旦消えそうになった火に油を注がれる羽目になるのであります。

クレームの対応は本当にストレスフルでイヤなもの。理不尽なクレームは頭を下げて聞き流すしかないけれど、云ってることすべてごもっとも、というやつは、やっぱり最後まで責任持って引き継いであげたい。

ちなみに、昨日の東京モノレールの停電トラブル。大幅に遅れて飛行機に間に合わなかった人が多かったのに、みんな文句を云うどころか対応した職員への感謝や恐縮の反応ばかりでした。ああありたい(トラブらないのが一番ですが)ものです。

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進化は退化(後)

(つづき)

現代社会の便利さは電子マネーにとどまりません。むかしは誰でも10件以上は覚えていた電話番号は、携帯電話やスマホに覚えさせた時点でアタマの中から消えてなくなりました。カーナビは、地図をくるくる回しながらあーだこーだと道順や現在地を想像する作業を奪い取りました。運動欲のない人間、たとえ2階に用事があっても遠く離れたエレベーターを探しに行きます。方や認知症予防のために運動が奨励され、電子マネーを駆使する都会人はいつも歩きまわっていると主張し、毎日通うフィットネスジムのフロアまでは階段ではなくエレベーターを使う現代人。基本的に、健康のための運動は決して健康に導かれず、便利を追い求める限り人間はますます退化を加速させるのだろうと感じます。

かといって、認知症予防を目的に小銭入れを持ち歩き、携帯やスマホを持たず、とことん階段を使う人間は、現代社会においてはかなりの変人です。一番大事な周りとのコミュニケーションの維持にどう影響するだろうかとも懸念するところ。

「考える」「動く」という努力をしないと、「要らなきゃ捨てますよ」とばかりに簡単に破棄されてしまうのが自然の摂理です。昔から想像されていた頭でっかちな宇宙人のような未来人の予想図はホントは間違いで、頭も小さくて空洞になっていたりするのかもしれません。

認知症など何ら興味ないであろう若い世代のみなさん、お気をつけあれ。

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進化は退化(中)

(つづき)

ところが、世の中には小銭入れの強烈な敵が蔓延(はびこ)ってきました。電子マネーです。チャージさえしておけば、レジや改札口でカードをかざすだけで事足ります。今やスマホでもできます。ずっと頑なに拒んでいたわたしもコインロッカーのほとんどがICタイプに換わって不便なので、先日の東京出張の時にPASMOを購入しました。JRのSuicaと並ぶ代表的な交通系電子マネーです。それはそれは便利。JRだろうが地下鉄だろうが私鉄だろうがバスだろうがコンビニだろうが、どこでもこの1枚で用が足ります。そして何より、経路図を見て運賃を確認して財布から金を取り出して券売機に入れる作業が一切要らない。「何を今さら」とバカにしないでください。こんなに便利になっているとは思いませんでした。もちろん九州内でも、熊本の市電でも使えます。とても楽しいのでおもちゃを与えられた子どものようにいつも持ち歩くようになりました。それを機に、スーパーのカードやコンビニのカードも積極的に使うようになりました。

それが、くだんの健康番組を見たときにハタと気づいたのです。「まったく頭を使わなくなってる!」・・・正直、ゾッとしました。長蛇の列のレジや電車の券売機の前でモタモタしないで済むメリットと引き替えに、失っていくものの如何に大きいことか。 (つづく)

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