書籍・雑誌

日本人の「体質」

久しぶりに本(本物の本)をほぼ1冊読み上げました。先日の外来で診察で呼ばれるまであまりにも長い間待たされたおかげでしっかりと読む時間ができました。

読んだ本は『欧米人とはこんなに違った日本人の「体質」』(奥田昌子:BLUE BACKS)。2016年の本だから何かと世間の見解も変わっているものが多々あるかもしれないけれど、わたし的にはとても楽しく読めました。生活習慣病に関わるメカニズムは、世間の方がわかりやすいようにわたしも工夫して話してきていましたが、若干自分で解釈を誤解していたところもあって、「なるほど」と腑に落ちるところが数多くありましたのでこれから数回にわけてちょっとだけ紹介してみます。何かの参考になれば幸いです。

⚫︎倹約遺伝子
⚫︎炭水化物論争
⚫︎食塩感受性

 

 

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『わかってもらう』

コラム定期連載の機関誌が発行されましたので、いつものように転載します。今回は2008年10月にわたしの職場で発行していた機関誌に掲載したものを加筆訂正して出しました。今また多くの人に読んでもらいたくて職場の許可をもらって再掲載することにしました。

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『わかってもらう』

「それは辛かったでしょう。もう大丈夫です。一緒に治しましょう」

私の妻がある漢方医院を受診して、これまでの様々な症状と辛い治療の歴史を話し終えた時、じっと聞いていた先生がやさしい眼差しでそう言いました。それを聞いた瞬間に感動で涙が出そうになったそうです。「今までそんな言葉をかけてもらったことがなかったのですごく救われた気がした」と語る妻の顔はどこか晴れやかでした。ある講演会で心療内科の先生のお話を聞きました。「体中が一日中痛くて辛い」と訴える患者さん、旦那さんのツテを使って有名な大学教授や名医にかかったけれど全く治らなかった女性に約45分間の初診面接を行いました。「ありがとうございました。何かとても楽になりました。これまでどんな偉い先生にかかっても私の苦しみをわかってもらえなかった。私の“痛み”をきちんと聞いてくれたのは先生が初めてです」・・・患者さんはそう言って帰りましたが、1ヶ月後に受診した時には痛みは半分に減っていたそうです。

相手に「わかってもらえた」と実感できる瞬間があります。何も解決していないのにそれだけで少し幸せになったりします。症状が改善した心療内科の患者さんのアンケート調査で、「なぜ良くなったと思うか?」の問いに、その25%は『安心感、信頼感』、20%は『具体的な説明』と答えたそうです。一方で、「わかってもらえていない」と感じることは、その何十倍も経験します。「そんなことじゃない。どうしてわかってくれない?」と、イライラしたことは誰にもあるでしょう。夫婦や恋人同士なら間違いなく喧嘩になります。医療の場では、医療不信のきっかけとなりドクターショッピングにつながるかもしれません。「わかってもらう」ということがどんなに幸せでかつ難しいことかがわかります。

前述の講演会では、元プロ野球選手の掛布雅之氏のフリートークもありました。彼は最後にメッセージを残しました。「主治医との心のキャッチボールをきちんとしていますか。キャッチボールは野球の基本です。投げる方は一番受け易い球を投げ、受ける方は投げる人の気持ちになって確実に心をキャッチする。その基本がなかなか出来ていない気がします」・・・ここに『わかってもらう』の極意があるように感じました。患者さんの主治医への想いはとかく片思いになりがちです。「私の思いに気づかないのは相手が聞く耳を持たないからだ」と不満を持ち続けていませんか? キャッチボールは投げる側の投げ方も大切です。患者さんと主治医が同じ球でキャッチボールするためには、どっちも心がお留守になってはいけないのだということを再確認させられました。

 

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かぞくかいぎ

カーリングのロコ・ソラーレの吉田選手がインスタで紹介した本はもう一冊ありました。

子どもから話したくなる「かぞくかいぎ」の秘密』(玉居子泰子、白夜書房)

”けんかをしても、
すれ違いがあっても、
反抗期が訪れても、
恐れることはない。
また話せばいいと思える
ようになりました。(本文より)”

帯に書かれたこのコトバ通り、「家族で会議を開く」という行動のなんたるかを事例を用いてわかりやすく紹介してくれています。「腹を割って思っていることを話す」という行為が一番むずかしいのが家族。はずかしいというか、何を今さらというか、あるいは「どうせ話しても・・・」「話さなくても分かっているはず」「話して何か意味ある?」と思うのが家族なのであります。日頃から何でも話しているよ、と思っている人でもそれが家族全員かというとそうではないでしょう。「お母さんとは話すけどお父さんは苦手」とか。ぜひ、特に子育て世代の方は一度読んで、子どもさんが小さいうちから『かぞくかいぎ』を開く習慣をつけておくときっとすばらしい大人に成長するのだろうな、と感じました。

残念ながら、わが家には子どもがいません。「夫婦2人でも『かぞくかいぎ』はできるよ」と云われそうですが、やはり『かぞくかいぎ』のミソは中に”子ども”が居ることだと思います。「子どもが何考えているかわからない」から始まって家族全員で話し合っているといつの間にか夫婦の間でも会話が当たり前になってくる、という流れは自然です。「ねえ、今から二人で家族会議をしよう」はハードルが高すぎる。もう30年以上も一緒に居ると、「何考えてるんだか」と思うことはたくさんあるけれど、「ま、いいや」と思う。それが処世術。あなたはわたしが何か云うと「なんでそんな云い方するの?もっと優しい表現があるでしょ!」と怒るけれど、あなたがわたしに云うときはそれよりもはるかにトゲのある云い方してるんだよ!・・・以前は口げんかしたものだが、「わたしのは全然違うよ。思いやりよ」と聞き流されると一層ムカッとして、「これは云っても無駄だ」と思うようになる。仲の良い友人に第三者の意見を聞こうとしても、「夫婦の問題をこっちに振らないでよ」と逃げられる。

こういうことが、中に子どもが居て、子どもの忌憚のない感想の中で『かぞくかいぎ』すると、きっとお互いに「そうね」となるのだろうな、と思いました。それが我が子、『子は鎹(かすがい)』の真骨頂なのでしょうね。

あらためて、この本。小さな子どものいるお父さん、お母さん、今の時期だからこそ是非手にとって読んでみてください。

 

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『当事者研究』

子ども当事者研究 わたしの心の街にはおこるちゃんがいる』(コトノネ生活)という本をAmazonで買ったのは、カーリングのロコ・ソラーレの吉田 知那美選手のインスタをフォローしたのがきっかけでした。たまたま彼女のストーリーズに紹介されていたから。

子ども・子育て当事者研究ネットワーク ゆるふわ

 この本の中にまるで”当たり前のコトバ”として『当事者研究』というのがあるけれど、どこにもそのことに対する解説がない。読み始めてすぐにその余所者感、疎外感に苛まれて、本を半ばまで読んだところで『当事者研究』とはなんぞや?を検索する羽目になりました。

当事者研究とは-当事者研究の理念と構成- (向谷地生良)』(当事者研究ネットワーク)
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 20132月号』(障害保険福祉研究情報システム)

精神科医になりたくて医者になり、統合失調や認知行動療法などの情報は適宜見てきていたつもりだったのに一度もわたしの前を通り過ぎたことのなかったコトバでした。それが遠い北の大地での活動だったから南国熊本まで届かなかったというわけではないでしょう。わが家に子どもがいなかったからというわけでもない。アンテナが低かっただけでしょう。だから、今更ながらこんな世界があることを知ることができたのはありがたいことです。ただ、これがまた微妙に奥深くて、付け刃でこの辺りの情報を読みあさっても結局は門外漢の余所者感。大人の当事者研究と子どもの当事者研究の”当事者”は同じ境遇のものとして繋がっているものなのかそれとも違うのか、この二つを繋いでいる『べてるの家』は精神障害者などの地域活動拠点だそうだけれど、『ゆるふわ』の立ち位置は決して特別な子どもたちの世界ではなさそう。特別じゃなくても参加できる世界なのだろうか?『家族の「当事者研究」』という記事を見つけました。これを見る限り、当事者もその家族も決して特別な人たちではなさそうです。

おそらく、そもそもの始まりは心の闇を抱えて戦っている統合失調の当事者が自分を研究してもらうという発想から始まった”当事者研究”が全国に広がる中でもっと大きな括りの中で子育てに悩むお母さんやあるいは親に理解してもらえずに悶々とする子どもたちが当事者として研究することで自ら新たな発見をし、周りにわかってもらえるきっかけ作りに貢献できるようになりながらネットワークが広がっているのだろうと推測します。

「どうしたの?今から子どもを育てようと思ってるの? もしかしてどこか他に子どもを隠しているとか?」・・・送られてきた本をみつけて妻がそんな冗談を云いました。
 

 

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感動する脳

わたしのiPadの『メモ』には、ブログネタになりそうなタイトルや書きかけの文章や、気になった記事や本の写しがたくさんあります。必要なくなったら(ブログにアップしたとか書くのを止めたとか、面白いと思ったけどあとで読んだら興味がわかなかったとか)消していくようにはしてあるのですが、少し仕事が空いた時間にずっと前の方をスクロールしてみたら、一番下に2015/02/19の文章~『感動する脳』PHP文庫 茂木健一郎~というメモがみつかりました。

おそらく、茂木先生の本を読みながら気になったところを書き写したものと思われるけれど、最初に必死に書き写しすぎて疲れたのか、”大切なのは「意欲」”という一節の書き写しだけで終わっています。この本、どこにやったかなぁ。これを書いた1年後に熊本地震が襲っているから我が家の書斎の本棚の本は全部なだれ落ちてしまったから、拾い集めた後にどこに戻したか記憶が定かではありません。

自分の書き写した文章を読んでみました。

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大切なのは「意欲」
新しいものを生み出す創造力というものは、体験×意欲です
「生きる上で避けることができない不確実性への適応戦略」というものは、実は普通に生きていれば年を取るにつれて減っていくもの
明日が今日と同じはずがない
加齢に伴って意欲が落ちていく大きな要因は、体験や知識が多く蓄積されることによって、不確実性の要素が減っていくことにある
「根拠のない自信」が大切

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5年前には、どこか他人事だった内容(おそらく、地域住民への健康講話のネタにと思ってメモしたのかも)が、今読むと異常にしっくり入ってくる。今、自分に一番欠如しているのは「意欲」だと云いきれるからです。

「感動」は脳を進化させる
 意欲が脳を刺激する

これ以上、メモしてないのです。今こそ茂木先生のこの本、読んでみたいのに・・・処分してないなら我が家のどこかにあるはず。さっそく探すことから初めてみましょう。

 

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今日すべきことを精一杯!

『今日すべきことを精一杯!』 (日野原重明著 ポプラ新書)

105歳にしてますますご活躍の日野原重明先生の一番新しい本(2017年3月8日第1刷)を早速読ませていただきました。読みながら、わたしはこの先生の考え方にどんどん近づいて行っているのではないか、と感じるところがたくさんありました。

『生まれてきて本当によかった』と言って死ぬことができれば、
なんと幸せなことでしょう。

最期がミゼラブルであれば、その人は幸せに生きて死んだとは言えません。

これまでのやり方にこだわらず、広い視野をもちましょう。

何歳になっても、毎日毎日自分の身長が伸びるような思いを味わうことができます。

言葉は人を結びつけもするし、遮断もするのです。

歳をとっていくなかで、一人ひとりが自分を作り上げるのです。

自分の変化を感じて、少しずつ新しいことを体験していきましょう。

死を受け止めることで、いろんな意味で人間は成長します。

いのちあるものは死に、バラの花は切り取られて枯れるのです。

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相変わらず、さりげない表現の中に人生の深さを教えてくれるコトバばかりがつづられた本でした。税別800円の文庫本です。興味があったら、ぜひ。

 

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「自褒めのススメ」

定期掲載を始めたコラムの今月号が発行されましたので、転載します。ま、内容はここに書いたものを並べ替えただけだから、ちとはずかしい。

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「自褒めのススメ」

体温をはるかに超えた夏の猛暑にいじめられた後、大地震から半年を耐え抜いた疲労感が一気に押し寄せていることと思います。わたしも今年は疲れ果てました。こんな時は、ココロもカラダもバランスを壊してイライラしがちです。健康管理も仕事も思うようにいかないことがたくさんあります。こういう場合、わたしはとことん自分を褒めることにしています。

自分なりに生活の見直しをして自分なりに頑張っているのだけれど、健診結果は今ひとつ良くならない。医者からも保健師からも「まだ努力が足りない」「やったうちに入らない」と言われて打ちひしがれている人、たくさんいるでしょ? ゴルフで、ヘタなりに練習をして、バンカーから一度でリカバリーできたとか初めてパーが取れたとか大はしゃぎしたら、「で、結局スコアはいくつだったの?」「まだまだだな」と鼻で笑われて凹んでしまう状況に似ています。そんな雑音にへこたれることはありません。いつも挫折していた自分が今回は頑張れたのだから、自分を素直に褒めてやってください。“日々の空腹感が楽しみになってきた自分”“動かずにはおれなくなってしまった自分”に対して「オレって、すごいぞ!」とこっそり自褒めしてやれば、それだけでスッキリできます。

例年にも増して忙しい毎日。ふと気付けば、なんか自分だけ他人よりたくさん仕事を押し付けられている気がしないでもない。ぎっちり詰め込まれたスケジュールにため息をつきながら粛々と仕事をこなしていると、アテンダントのお嬢さんが申し訳なさげに診察室のドアを開けることがあります。これは、予定になかった仕事をさらに頼まれることを意味します。以前はそれだけで腹が立っていました。「担当者が決まっているのに何故そのしわ寄せをオレがしなきゃいけないの?」・・・苛立ちの空気に気圧されてそっとドアを閉めるお嬢さん方、本当に申し訳ありませんでした。今は、ちょっと迷惑そうなポーズは取ってみますが、ちゃんと何でも引き受けます。昼休みを少し削ることもたまにはありますが、そんな時にはしっかり自褒めすることにしています。「人一倍働いて文句ひとつ言わないオレって、カッコいいよね! みんな、オレに惚れるなよ!」みたいな。このセルフケアはとても大事です。むかしは夕方になると深いため息で萎れた顔をしていましたが、最近は「今日も良く働いた。エライぞ、オレ!」と最後に褒め殺して締めくくるので、疲れは残しません。

他人に評価してもらおうとすると思うようにいきませんが、自分で自分を褒める分にはどこまででもつけ上がれます。自惚(うぬぼ)れるって、とても大事な処世術だと思います。

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「天災と予防医学」

2年ぶりに依頼された原稿、内容を悩みました。結局、こんな文章になりました。もうすぐ発刊だと思います。

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『天災と予防医学』

ゴゴーッという地響きの度に地面に這いつくばり、目の前で瓦が音を立てて崩れ落ちる光景を呆然と眺めていた・・・あの夜からひと月半が過ぎた6月初めにこの原稿を書いています。こんな時に何を書いたらいいか悩み、締め切り間近になってようやく書き始めたところです。皆さま、ご無事でしょうか。おそらく皆さまがこの文章を読む頃にも、多くの方が震災前とはほど遠い日常生活を強いられていると思います。心身ともにくれぐれもご自愛ください。

「脂肪肝や内臓脂肪はいざというときのためのエネルギーの備蓄だから、よほどの天変地異でも起きない限り使うこともなく貯まる一方で、最後は倉庫の隅から腐っていく」などと偉そうに説明していた自分が、まさか被災者になるとは思いませんでした。取るものも取りあえず逃げ、飲むものと食べるものを確保することに必死という状況では、食事バランスがどうこうと考える必要もなければ余裕もないのは当たり前です。自分のカラダを実験台にして分かったことは、起きていれば水と炭水化物だけ食べても太らないということ。そしてタンパク質を食わないとみるみる筋肉がなくなり、脂肪を摂らないとエネルギーが足りずに疲労感が増すということ。日ごろ食べたいとも思わないものが無性に食べたくなったり、大好きだったものをそう食べたいとは思わなくなったりするということ。これは栄養学とか生理学とかいう付け刃の屁理屈ではなく、太古からの飢餓の歴史を乗り越えて生き延びてきた人類の経験則なのでしょう。こういう時には、素直に自らのカラダの求めに従って自然の摂理に身を置くしかないのだと学びました。

『予防医学』は直面した未曾有の天災を前にして無意味ではないかと悩んだ時もありましたが、そうではありません。今回の震災を経験した人の全員が、飢餓状態と極度のストレス状態にありました。一瞬パニクッたカラダはしっかり反省しています。二度とこんな慌て方はすまいと誓い、前よりも備蓄する力を増しているはずですから、このままでは前よりもはるかに貯めやすいカラダに変貌します。いわゆるリバウンドです。ですから予防医学の本当の出番は今からです。パンやカップ麺を貪り食ってきた生活に区切りをつけなければなりません。住む家が倒壊したり仮住まいだったり、あるいは自宅の荷すら元に戻せない状況下で、「それどころじゃない!」と拒絶するアタマを何とか説得しなければなりません。今回、多くの方々の支援によって、食べられることのうれしさをつくづく思い知らされました。電気が点くことや水道・ガスのおかげで料理ができることのありがたさが身に染みました。この経験を踏まえて、欲する時に欲する量を食べられることを喜びと感じるとともに、今まで以上に一噛み一噛みを大事に、感謝を持って戴くように心がけたいものだと思います。

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今日が人生最後の日だと思って生きなさい』(小澤竹俊著、アスコム)を読みました。

本を読む機会はめっぽう減りましたが、facebookやメルマガなどで紹介された本などをついポチッとamazonしてしまう今日このごろ。高いものは買わないことにしているわたしですが、1000円で買えたこの本、するする読みやすくてすぐに読み終えました。昨日紹介したディグニティセラピーを実践しているめぐみ在宅クリニックの院長先生の本だったから、ディグニティセラピーのことがたくさん書かれているのかと思ったら、ほんのちょっとだけでした(笑)

するすると読みやすくて1、2時間で読んでしまえると、なんか1000円がもったいなかった気がしないでもない。買わなくても良かったのじゃないか、みたいな。かといって、難解すぎて半分くらいで断念してしまうことも多々あって、これまた1000円が高すぎた気になる。人間、わがままなものです。

この本、とても淡々と著者の想いがつづられています。ちょっと淡白すぎて、そして朴訥とした言葉選びのために、すごいこと書いているのに妙に陳腐に見えたりするところもあって、そこがまた著者の人となりをうかがわせます。読み進めながら「うんうん」と相槌を打つことばかり。だから、買ったことに後悔はありません。でも、この本を将来読み返すかどうかは、これからの自分の人生次第だと思いました。死ぬ前に後悔することが何もないなら、あるいは人生の岐路で自己解決できるなら、きっとこの本を再読することはないでしょう。

「長い間、『自分は無力である』という思いに苦しんだ果てに、私はようやく『無力でよいのだ』と気づきました」・・・このくだりが、とても好きです。

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『ちょっと今から仕事やめてくる』

話題のこの本をfacebook仲間から紹介されてついamazonでポチ。最近よくあるわたしの本の買い方です。買って最初だけ齧ってそのまま放ったらかすことの多い中で、あまりにサクサク読めるので、先日の出張で行きの新幹線の中で読み上げてしまいました。まあ、途中から涙もろいわたしの涙腺がボロボロになりましたので、できたら公衆の面前では読まないことをお勧めします。

ちょっと今から仕事やめてくる』(北川恵海著、メディアワークス文庫)

ちょっと「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海)に似た乗りでもありましたが、中身は仕事に疲れてウツから自殺を考えるはなし。多くの若いサラリーマンさんが共感するであろうはなし。特別に複雑な内容ではなく、優しい空気だけに包まれながら、粗削りで平易な表現ばかりだけれど、全体的に波乱のないはなしなのですんなり入ってきます。それでもどうしてこの本が話題なのかといえば、これは一般向けの読み物(小説)ではなく、それを必要とするヒトにとっての救いの書だからではないかと思いました。まあ、最後の〆は、きっとドラマ化かなんかを想定しているのでしょうけれど、突飛すぎて現実にはありえません。でも、それはそれでいいんじゃないんでしょうか。

読みながら、就職してすぐの研修中に仕事を辞めた甥っ子のことを思い出しました。まだ研修中の電話当番だけで「自分に合わない」と辞めてしまうのはもったいなかろうとか思いましたが、今は次の人生をきちんと生きています。それはそれで良い選択だったなと思います。

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